Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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福沢一郎と超現実主義絵画の方向について
「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の次の章は日本人芸術家と日本に根付いたシュルレアリスムについて扱っています。まず画家福沢一郎の画集に掲載した文章から引用いたします。「氏(福沢)は多くのシュルレアリスムの追随者たちの抽象的様式主義には無関係なのである。氏はリアリスムの描法をもって、現実を通して、容赦なく非現実の世界に飛び込んで行った。そこに奇異な残酷の芸術が生れた。キリコの飽和とはおよそ正反対な冷酷な現実の処理がそこにあった。」次に超現実主義絵画の方向についての論考を取り上げます。「ぼくの批判が許されるならば、一面ではアカデミズムに対する多面的な、漠然とした反抗となって現われていると同時に、他面では、そこに飽和しつくした既成の造形内容の瓦解を内に含んでいる消極的姿態をも見のがすことができないと思う。~略~日本での〈超現実性〉が芸術上のネオ・ロマンティックな空想に終っている場合を挙げることができよう。それは一種の〈楽土主義〉ともいうべきものになり、現代における芸術至上主義の一形式になっているのである。現代のロマン主義については、ここでの対象ではない。その広汎複雑な様相からみれば、むしろ超現実主義と密接な関連をもっているのであって、現代におけるロマン主義の多様な色調に対しては別に厳密な分析を待たねばならないだろう。〈超現実性〉に対するこうした、あらゆる類似性雑物から、超現実性を奪回することが、超現実主義の今後の問題なのである。現在の新しい造形芸術なり詩なりが、この類似性空間を、暫定的に利用するということは、過渡的段階として認められるかもしれない。しかしこの空間は、足溜りとなっても、発展の動力になることはないであろう。なぜなら、そこには表象としてのイマージュは、〈死語〉の能力しか発揮しえないからである。」著者は超現実主義絵画の方向について厳しい評価を与えています。シュルレアリスムの正しい理解とその歴史的背景を知ればこその文章であろうと思います。今回はここまでにします。