2024.05.28
「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)の「物体の自発性」について、気に留めた箇所をピックアップいたします。本稿は美術文化協会展について書かれたもので、既に80年も経った当時の日本の現代美術に在り方について貴重な意見が散見されます。「新しい運動とか芸術思潮とかを行為してゆくことはいっそう困難に見えてくるのであるが、美術文化展はこの意味でも新たな期待のうちに開かれた。しかしその意義が一般的で大きいだけに、その動向を分析し、真に意識化することは、自他ともに大きな仕事である。~略~東洋的という言葉は曖昧だが、ここでは西洋絵画の技術様式から脱出しようとする対蹠的な体系の意味であり、同時に不可知的な神秘思想にも通じることを注意したい。ギリシャ的なものが魅力でありうるわれわれは、東洋的なものさえ異国的に感じられる特殊な位置にいる。従来、日本画的方法とは別にこの後者の伝統には無関心が示されていた。しかし油絵を通して、輻射的にもしろ探究の緒が与えられることは偶然とはいえない。」本論は具体的な芸術家の作品を複数取り上げていますが、ここでは2人に絞らせていただきます。「福沢一郎の『山西図』等は支那に取材された従来の諸作家のもののなかでは独自な遥かに高い位置を占めるものである。この種の作品は風土的興味に制約されるのみならず、時局の直接な要求が絵画的解決に間暇あらしめない憾みはあるが、国家的見地からも、芸術的な対象としての支那大陸が、いつまでも即興的な卑俗さにとどまるべきではあるまい。(現在は支那を中国に改めています。)~略~純抽象的傾向の作品はここでは比較的に少ないが、その質は悪いものでない。斎藤義重のレリーフ的作品は、態度の純粋さを尊重したい。アルプのユーモアはないが、日本人らしい一種の几帳面さが長所とも短所ともなっている。材料と技術の規格的な制限がそれに関係するであろう。」今回はここまでにします。