「瀧口修造 沈黙する球体」(岩崎美弥子著 水声社)の第4章「卵のエチュード」の気になった箇所をピックアップしていきます。「この作品はシネポエムという映画の形式で書かれていることと、そこに画家ダリが展開したフロイト的オブジェ論が反映されている面において興味深く思われる。そして、この作品からは瀧口のオブジェ観がどのようなものであるかが理解できるばかりでなく、『妖精の距離』(1937年)に通ずる喪失と閉塞の心理がはっきりと見て取れるのである。」瀧口修造にとって映画とは何だったのか、こんな文章もありました。「『悲痛の前で微笑することができる』。現実が苛酷なものになればなるほど、瀧口は視覚によって具体的に捕えることのできる暗闇のなかの超現実的な映像世界へと向かっていく。そして、超現実的な映像は現実描写に匹敵する力でひとのこころを摑むことを確信するのである。」本章の最後にこんな文章がありました。「『卵のエチュード』が書かれた頃、瀧口は象徴としてのオブジェについて考えていたのである。象徴には対象物からじかに感受する感覚の力が深く関わっているのであるが、瀧口の考えではそれは必ずしも花鳥諷詠のような美的な言葉や夢幻として表現する必要はないのである。むしろ、絵画にしろ山などの物体にしろ、ぽん、と目の前に投げ出されている対象から受ける自分の感受性や直感を信じることで、その価値を決定していくという方向に瀧口は向かったのである。~略~この時期の瀧口にとって超現実的な世界は『悲痛の前で微笑む』ためのものだったのである。このことについては、慎重に考慮されなくてはならないであろう。~略~悲痛も微笑みも人間が有する生命の発露であろう。そこには、目には見えない生命力というものが表面に現れているのである。」今回はここまでにします。