2024.07.18
東京銀座のギャラリーせいほうでの個展には、連日いろいろな人がお見えになって、私の作品に感想を述べていきます。私としては嬉しい限りですが、真摯に向き合わなければならないご意見もあります。今日は古代中国史を専門にしている量博満叔父がやってきました。叔父は90歳を迎える高齢者のため、例年は娘(私にとっては従姉妹)に付き添われて来廊していましたが、今日は一人で公共交通機関を使ってやってきたのでした。耳が遠くなり会話をするのが大変な叔父ですが、私は叔父とお互いの専門分野について話がしたかったので絶好の機会になりました。叔父は若い頃から中国の学者と連携して、大陸の発掘現場で仕事をしてきました。日本では上智大学で長年にわたって教壇に立ち、現在は名誉教授になっていますが、そもそも考古学者として発掘されたモノに洞察を与えて知識化していく以前に、その文様の意味するところに仮説を立てて考察することに研究の重きを置いているようです。私の作品に触発されて、渦巻文様に対し叔父独自の論理をもって、詳しい解説をしてくれました。古代人の描く世界は混沌としていて、その中から形態が生れてくるのですが、宗教性を帯びた原初の形態に見られる文様は、現在の叔父の興味関心の対象で、とりわけハート型の文様を縦割りにした曲線文様に何か意味を見出そうとしていました。これ以上私がここで書くことを控えますが、私が感じたのはこの高齢にして叔父の研究は、延々と継続し、また深みを増していくように思えました。ヨーロッパ文明との比較も叔父の発想にはあるらしく、私も彫刻という概念を学んだのはヨーロッパ教育としての人体塑造からで、私はヨーロッパを去る時に自分の中で一旦形態を無にして、そこから立体を考え始めたことを思い出しました。叔父の講話から私自身の創作に対する振り返りもあって、今日は貴重な時間を過ごしました。博満叔父の兄はカント哲学者の義治叔父で、私は彼と哲学の話をしたかったのに、自分の浅学ゆえに義治叔父とロクな話もせず、義治叔父は他界してしまいました。悔やまれてならないので、今度こそ博満叔父の研究を少しでも理解していきたいと私は願っているのです。