2024.10.16
「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅴ 抽象絵画の主流 」の文中に出てくる多くの芸術家を今回も3人取り上げます。まず、バウマイスター。「バウマイスターは、想像力と夢を見事に物質化した今日の芸術家のひとりに数えられる。芸術の魔術的な面を強調する技術的手段は、すべてかれに役立つ。ひっ搔いたり(グラッタージュ)、細い粉を混ぜたり、櫛の歯でけずったり、かなり触覚的な暗示力を与えられた材質を重ねたり、並列したりすることによって、かれの絵は、奇態な荘重さ、野蛮な尊厳さを加えられる。かれの『形而上的風景』には、生命のはじめの胚芽を、また物質が本来の形態を秩序づけるためにする努力を表わす、敏速で流動する記号がみちみちている。」次にミロ。「かれ(ミロ)のカリグラフィーが、もっとも美しい作品では、中国の文字とか、キャバラの碑文とかの不可思議で超自然的な驚くべき美を持っているのは、無意味なことではない。ヒエロニムス・ボッシュの魔術が黒であったとすれば、ミロのそれは白である。彼の魔術は、時折手品師の芸当に身をやつしているのかもしれない。しかしその本質は、かれのタブローを見る人たちの大部分が考えるよりはるかに深いものなのだ。かれの象形文字は、しばしば、かれにとって秘蹟である。そこには、自然を知らないか、あるいは知っていてもほとんど判読不能の謎めいた暗示でしか表現しない、精神の秩序の証跡がある。」最後にビシエール。「ビシエールは、非具象的なコンポジションのなかにも自然が根強く存在していることを独特な説得力で断言する。そして、自然が具体的に再現されていないからこそ、どれほどかれ独特の詩がこの自然に賦与されているかを示す。かれのいくつかのタブローが、好んで絨毯に似ているのは、偶然ではない。ビシエールは、夢と現実を織りまぜる。それは、かれが自然には、すべての夢とすべての現実との源泉があることを知っているからだ。最初は、体験や思念であったものを、創造のリリックな激発を通して置き換えるときにみせる、あの謙虚にみちた純潔な自制そのものが、かれの芸術に、宗教的とよんでも言い過ぎではない大きさを賦与するのだ。」今回はここまでにします。