2024.11.18
先日の朝日新聞「折々のことば」より、記事内容を取り上げます。「とっくにいいときは過ぎていたり、いいと思って置いた筆がまだ描き足りなかったりする。猪熊弦一郎」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「絵を描いていてとくに難しいのは『最後の筆の置き時』だと、マチスからじかに教えを受けた画家は言う。絵はたしかに描き込みが過ぎると色は濁り、画面が縺れてくる。絵としてのまとまりにばかり目が行って、『物を見る目の敬虔さ』と『物に対しての深い親しみと謙虚な心』を失くしてしまうのだろう。『マチスのみかた』から。」作品を作る者にとって、これは最大に難しいところで、どんなに制作慣れしていても、毎回異なる「筆の置き時」があるのです。個展に出したところで、あそこをこうすれば良かった、いや、待てよ、もっと根本から作り直した方がいいのではないか、そんなことは毎年個展の搬入が終わった時にやってきます。また作り過ぎもあり、制作途中の段階の方が良かったと後悔することも度々あります。彫刻はすぐに直せるものではないので、諦めの境地になるし、ましてやそこに焼成という段階があるので、絶望感にも苛まれます。どうしてそうなるのか、それは芸術作品が感性によって最終決定をしていくために、人は気にならなくても、作った本人は気にしているからです。大学時代に自分の塑造作品は客観視できないものの、友達の作品はよく見えていて、そこで終わらせたらいいのに、と思ったことは暫しありました。制作中の友達の懸命な顔を見ていると、余計なアドバイスは止めようと思ったのでした。ここに自ら気がつけば一丁前なのかもしれませんが、何十年やっても、自作の客観視は出来ないままです。多少視野が広くなって、遠くまで見渡せるようになりましたが、自分の生真面目な性格もあり、「最後の筆の置き時」を冷静に見られない自分がいます。