2025.01.28
「密教」(正木晃著 筑摩書房)の「第二章 キーワードで考える日本密教」の中の単元「真言」について気になった箇所をピックアップします。「密教のことをなんと呼ぶかについては、古来、いくつかの答えがあった。そのうち古代インドでいちばん一般的だった呼び名は、金剛乗(ヴァジュラ・ヤーナ)だった。それに対し、真言乗(マントラ・ヤーナ)や真言道(マントラ・ナヤ)という呼び名もあった。ご存じのように、空海を開祖とする日本の密教宗派は、真言宗と称する。」次にマントラについて。「言葉そのものとしてのマントラは、動詞『マン(考える)』に、後接字『トラ(器)』が付加されたもので、全体では『思考の器』というほどの意味をもつ。このマントラには、他の言葉には見られない特別な性格があった。反復だ。つまり、マントラは数限りなく唱えられたとき、いよいよ絶大な威力を発揮すると考えられた。」次に明呪について。「明呪は、サンスクリットではヴィディヤーという。中国語に翻訳されたとき、その意味をとって明呪と訳出された。この場合、明とは学問的あるいは科学的な智恵の意味であり、呪とは呪法を指す。~略~このことは、古代インドにおいて、学問・科学(技術)と呪法が一体のもので、未分化だった事実を物語っている。」最後に陀羅尼について。「陀羅尼は、サンスクリットの発音ダーラニーをそのまま漢字に写している。心を一定の場所に結びつけること、いいかえれば精神の集中統一という意味をとって、『総持』とか、ただ単に『持』と翻訳されるときもあった。~略~真言・明呪・陀羅尼の発生と展開を概観してきたが、この三者は次第に統合され、統合されることでさらに大きな機能をもつ結果となった。そして、最終的には、密教の根幹をなす最重要のコンセプトへとみごとに変容を遂げたのだった。」本単元の最後に空海の究極の真理が述べられていました。「空海が構想した密教の究極の真理は、自分自身が大日如来なのだ、という認識、いや体得に尽きる。とすれば、肉体を震わせて、いま、真言を唱えているこの自分こそ、もしかしたら、真理そのものを体現していることになるのではないか。」今回はここまでにします。