2025.10.30
「廃墟論」(クリストファー・ウッドワード著 森夏樹訳 青土社)を読み終えました。最後に著者による謝辞が載っていました。「廃墟が昔から、どれくらいたくさんのインスピレーションを生み出す源となってきたかについて述べたものである。読者の方々が私の意見に賛成してくださるかどうかは、この際、あまり重要ではない。この本を読んだ人々がこれを機に、自分で廃墟に出かけ、廃墟を楽しんでくだされば、作者としてそれに越した喜びはない。」さらに翻訳者によるあとがきもありました。「いわば廃墟は、不完全な現実と、それを見る者の想像力との間で取り交わされる対話といってよいだろう。したがって、つねに見る側はイマジネーションの喚起を強いられる。~略~廃墟の歴史を語る過程でウッドワードがとりわけ明らかにしたのが、イギリスの画家たちの使った『ピクチャレスク』という言葉である。この語は元来、イタリア語の『ピットレスコ』(絵のような)に由来し、きまじめさとは少しちがう、遊び心や風流心、それに気晴らしの要素の強い絵画性を表わしていた。それが転じて、18世紀後半から19世紀初頭にかけて、イギリスで流行した建築・造園上の趣味を示す言葉となった。」煉瓦や石で構築された建物や都市空間は、幾星霜を経て、それが風化したとしても人間の美意識に働きかけてくることを、私はヨーロッパで体験してきました。とりわけエーゲ海沿岸の遺跡群は、私の陶彫による集合彫刻の発想の源になっています。まさにピクチャレスクとしての印象が私のイメージを刺激したものだったと述懐しています。廃墟と言っても世界にはさまざまなものが存在し、ヨーロッパ的ピクチャレスクでは語れないものもあります。日本では自然災害によって廃墟化した町に対して、それを保存する意識は芽生えません。少なくても私にはその発想はなく、一刻も早く復興を願うばかりです。日本で保存しているのは広島の原爆ドームを初めとする一部施設で、それは悲劇を繰り返さないための人類に対する戒めの碑なのです。古来から保存されてきた建造物等はありますが、日本の場合はそれは信仰の対象であって廃墟ではないと考えます。私は自分の成育歴にはないヨーロッパ的ピクチャレスクを創造の要にしている点が、今も自問自答を繰り返す要素になっていますが、若い頃の強烈な体感がそれを補って余りあるものとして納得している次第です。