2025.11.28
昨日、下北沢の本多劇場で公演中の演劇「マイクロバスと安定」を観に行った後で、私は20代の頃に思いを馳せた演劇空間についての雑念に頭が囚われてしまいました。現在の私の創作活動では彫刻が空間を演出するための装置と考えているところがありますが、当時の私は彫刻を学んでいるにも関わらず、空間を捉える意識がなかったのでした。当時は人体塑造の巧拙にばかり目がいっていて、アルバイトでやっていた亡父の庭園造成にも空間的な解釈はしていませんでした。そんな近視眼的な私に不思議な空間感覚を齎せた分野がありました。それは当時流行していたアンダーグラウンド演劇(アングラ劇)で、その中には外でテントを張って上演する野趣あふれる興行もありました。代表的な劇団には、唐十郎主催「状況劇場」、鈴木忠司主催「早稲田小劇場」、寺山修司主催「天井桟敷」などがあり、私は頻繁に観劇に行っていました。そこで私が気がついたことは日常の中に立ち現れる非日常の演劇空間のことでした。たとえば客席と舞台がしっかり分かれていれば、舞台空間を非日常化することは十分考えられ、安心して観劇できるのです。一方、劇団によっては舞台が定まらないこともあり、客席との境が曖昧で、そこに見えない結界が張られているのではないかと思わせることがありました。日常の中に突如非日常が登場する、その演劇的事件が若い私を刺激していました。私たちが慣れ親しんだ日常の当たり前な状況が、ふと超現実的な世界に変貌する、意味が分からない中で、私たちはそれが何かを究明したいと願い、それを受け入れるのに時間がかかります。そんな究極なことは現実にはありませんが、私たちの生活の中には馴染みのある非日常空間の現出もあるのです。それは神社仏閣が行う祭りです。そこに登場する祝祭空間は非日常で、神や仏を奉る儀式と演劇がどこか似ているように私には感じられるのです。人間は時折日常の中に演劇空間をもち込むことで、新鮮な視点を得たいのかもしれず、それを感じることで私たちの生活が活気のあるものに生ま変わることがあるのだろうと思います。昨日、本多劇場で友達が演じていた芝居を通して、そんなことを考えたのでした。