2025.12.17
「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第3章 イエズス会のアジア布教とその美術政策」は3つの単元から成っていて、今回は「1イエズス会とアジア布教」について取り上げます。「(イグナティウス・デ・ロヨラは)エルサレムに巡礼したあと、スペイン各地の大学で勉学し、熱烈な信仰心のゆえの審問や投獄を経験したあと、1528年パリ大学に向かい、ここで1533年に学士号、翌年修士号をとった。この大学で彼は後のイエズス会の同志を得た。フランシスコ・ザビエルもそのひとりである。1538年かれらは修道会を結成することとし、その会の『基本精神要綱』を作成、パウルス三世に提出して許可を得ることとした。~略~海外布教はイエズス会の重要な仕事であった。ロヨラが没したときには、すでに東インド、日本、中国などのアジア、ブラジル、コンゴ、エチオピアでイエズス会士が宣教を行なっていた。海外布教の事業に先鞭をつけたのは、フランシスコ・ザビエルである。~略~『(ザビエルがイエズス会員に宛てた書簡では)日本についてこの地で私たちが経験によって知り得たことをお知らせします。第一に(…)この国の人びとは今までに発見された人びとのなかで最高であり、日本人より優れている人びとは、異教徒のなかでは見つけられないでしょう。彼らは親しみやすく、一般に善良で、悪意がありません。おどろくほど名誉心の強い人びとで、他の何ものよりも名誉を重んじます。』このほかザビエルは、日本人の大部分が読み書きができるので教理を教えるのに適していること、道理にかなったことを聞くのを喜ぶことをあげてその知性を賞賛している。~略~この楽観的な予想は、1550年の冬、ザビエルとフェルナンデスが訪れたミヤコ、すなわち京都で無惨な夢に終わった。天皇に会いたいという希望は、高位の紹介者と高価な贈りものを持たないものには不可能であった上に、戦乱の状況にあった京都に天皇は不在であり、わずか11日間の滞在であっても、天皇が日本を安定統治しているのではないこと、この国が戦乱状態にあって、総括者は不在であることがわかった。」今回はここまでにします。