Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「生月隠れキリシタン」について
「聖母像の到来」(若桑みどり著 青土社)の「第8章 聖母像の変装」は4つの単元から成っていて、今回は「3生月隠れキリシタン」を取り上げます。「なぜ、キリシタン遺物が生月でこのように保存されたか。その理由として、第一に、ザビエルの平戸布教開始数年後に当時の生月の領主であった松浦藩の重臣アントニオ籠手田、バルタザル壱部の両氏が入信し、これに従って全島民が信者となったため、イエズス会年報にも登場すること30数回、初期日本キリスト教会の一大成果であったことがあげられる。~略∼『お洗濯』と称する礼拝像新旧交代の風習については、日本の民俗的な習俗が重なったものとみられる。本来、『納戸神』、『御前様』は、描かれただけでは崇拝の対象にならない。魂を入れる『授け(洗礼)』の儀式を経て、はじめて生きたアニマをもつ『御前様』となる。これは本来のカトリック美術の『聖別』の儀式である。また、古くなると描きなおされ(『お洗濯する』)、そうして何度も描きなおされているうちに時を経て次第にもとの西洋画が変化したと宮﨑(賢太郎)氏はみているが、『お洗濯』した絵は、また魂を入れる『授け(洗礼)』の儀式を経て、生きたアニマをもつ『御前様』になる。古くなった絵は、『戻し(葬式)』の要領で魂を抜かれ、『ご隠居様』となる。~略~自然を聖なる力として肯定するそのような態度は、まず、日本の風土という固有の条件と分かちがたく結びついているであろう。その気候は、時として地震や台風や洪水や日照りなどの大きい激しい変化を示すことがあっても、おおむね安定した四季のリズムを刻み、熱帯や、亜熱帯や、大陸性の激しい気候風土、あるいは砂漠地帯や極北極寒冷地帯のそれと違って、温暖で人間に優しい風土である。このことは、宗教という、人間の生の全体にかかわる地平からすれば、大きな深い意味を持っている。~略~生月は古来クジラを獲ることで知られた民であり(生月の博物館『島の館』はクジラ獲りとキリシタンの展示で占められている)、かれらが、典拠とするキリスト教司祭と儀礼と教書を失ったとき、古来の民衆宗教に半ば回帰し、かれらの住む海と島を全宇宙として沖に浮かぶ処刑の島を他界とみたことは、かれらが本来の民衆宗教の世界観に回帰したという要素があったのではないかと考えられる。」今回はここまでにします。