Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「共感としての絵画」について
「奇想の美術館」(アルベルト・マングェル著  野中邦子訳  白水社)の第5章である「共感としての絵画」について、気に留まった箇所を取り上げます。本章はラヴィニア・フォンターナの絵画についての考察です。「(狼の風貌を持つ少女の肖像画など)これらの絵を目にした人びとの大多数にとって、ゴンサルブス一家は自然界の奇跡というより、むしろ自然界の恐怖の実例に思えたはずだ。神の不手際な被造物であり、そこでは天使が悪魔に負け、人間の奥底にひそむ獣性が露見される。~略~(絵のモデルとなった)トニーナを見た人びとにとって大きな衝撃だったのは、自分たちの顔とは驚くほどちがう奇怪な顔がこの世に存在するという明白な事実を目の前に突きつけられたことである。目の前にある、皮膚と血でできたその顔は、文明化された人間の境界を超えた存在を示唆していた。人間の顔が(キリスト教の教義がいうように)人体という聖なる殿堂の礼拝堂だとすれば、毛むくじゃらのトニーナの顔は野生のジャングルに飲みこまれて崩れ落ちた礼拝堂の残骸のようなものであり、人類の文明を侵食しようとする獰猛な自然の証だった。」ここでその絵を描いた画家の紹介を入れます。「ラヴィニア・フォンターナは1552年に生まれ、画家である父のプロスペロー・フォンターナを師として絵を学んだ。まだ若かった徒弟時代、プロスペローはミケランジェロへの紹介状をもってローマへ行った。すでに巨匠となっていた高齢のミケランジェロは親切にも彼を教皇ユリウス二世に紹介してくれた。」さて、ラヴィニアがトニーナに会った時のことが記述されていました。「二人の奇妙な出会いからどんな感情が生まれただろうか。この出会いによって、トニーナにはどんな変化が起こり、フォンターナにはどんな変化が起こっただろう。向かいあった二人は、おたがいに何を読みとっただろう。ソラーニャの着飾った人びとのあいだでトニーナが何を考え、何を感じたか、そしてイーゼルを構えたフォンターナの前でじっとモデルを務めたときに何を思ったか、私たちが想像してもかまわないのだろうか。」今回はここまでにします。