Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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新聞記事より「得体の知れない自分とは何か」
私は子どもの頃から魑魅魍魎に惹かれていて、今でも思い出すのが中学1年生の読書感想文にカフカの「変身」を取り上げたことです。私が苦心して書き上げた拙い文章に、教師は疑いの眼を持っていたことも覚えています。難解だった内容でも、何かを捉えようと私はそこから逃げ出したい気持ちを抑えて理解することに務めました。今日の朝日新聞の「天声人語」に「変身」のことが掲載されていたので、引用いたします。「ある朝、目覚めると、グレゴール・ザムザは『巨大な毒虫』になっていた。フランツ・カフカの『変身』である。どんな虫になったのか。以前の邦訳からは自分なりのイメージが持てたのだが、最近、それが揺らいでいる。いくつもの新訳を読んだからだ。例えば、『途方もない虫』とか『馬鹿でかい虫』といった訳がある。『化け物じみた図体の虫けら』とも。~略~うーむ。よく分からない。いったいはグレゴールは、何に変身したのだろう。実はこれこそ、カフカの狙いなのかもしれない。多くの文学者が指摘することだが、『変身』の本の扉絵に『昆虫そのものを描くことはいけません』とする手紙を、作家はわざわざ出版社に送っている。あえて彼は、分かりやすいイメージを読者に与えないようにしたのではないか。得体の知れない生き物に自分が変質する。その自分とは何か。変わるとは何なのか。優れた小説は深遠な問いを読者に投げかけ、自由な想像を促す。『生きることは、たえずわき道にそれていくことだ。本当はどこに向かうはずだったか、振り返ってみることさえ許されない』。そんな言葉を残し、カフカは40歳で亡くなった。きょうでそれから、ちょうど100年になる。」中学生の私は、当時この小説の居心地の悪さを感じていて、単なる怪奇小説と思って読んでいた私は、何が何だか分からない闇に放り込まれたのでした。数十年後に再読してみると、自分という不可解な生命体の輪郭がボンヤリとしてきて、己を問う隙間があちらこちらにあって、そこが「変身」のテーマなのかなぁとも思いました。