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「抽象芸術の本質と性格」について④
「抽象芸術」(マルセル・ブリヨン著 瀧口修造・大岡信・東野芳明 訳 紀伊國屋書店)の「Ⅰ 抽象芸術の本質と性格」の前回の続きとして、気になった箇所をピックアップいたします。今まで西洋美術だけだった論考が、ここからイスラム圏に移ります。「イスラム芸術の大勢が~略~明らかに非具象的であったことは事実である。この抽象への好みにはさまざまな原因があるが、そのうち最大のものはこの沙漠の民族の精神性、つまり無限なるもの、形に表わせないもの、再現しえないものに日常親しんでおり、超絶的な概念そのものによってしか神的なものを把握できないというかれらの精神性にある。~略~生命的形態をなにひとつ描いていない芸術が、われわれの眼や精神に異常なほどの生命感を与えるのは、すでにのべた軽さ(形態と材質の)のためであると同時に、この運動感のためなのである。これはまた、純粋な組飾り、すなわち、植物の形態ではなく幾何学的形態によって形づくられた網紐模様のうちに強く感じられる。イスラムのあれこれの地域、あれこれの時代において、どんな形態が支配的になるかは、各民族の特殊性、外国からの影響、各民族の美的、宗教的伝統の相違によって決まる。これは肉感的か知性か、線か量塊か、さらには線や量塊か色彩かといった問題についても同様である。」ここで抽象の2つの在り方について述べた箇所を引用します。「一方では具体的形態から出て、これを抽象的形態に変える抽象化作用、他方では具象的な出発点のないモティーフに対してのみ働きかける純粋な抽象作用の二種である。」改めてこの概念を持ち出したのは純粋な抽象を求めたイスラム芸術に対し、エジプト芸術の具体的形態から発展した造形を論じたかったためかもしれません。「具象的な植物の形態から、この形態に触発されながらもすでに非常にデフォルメされているためほとんど見分けがつかず、なにを原型としているかほとんど判別しがたいような抽象的形態へ移行したことは、知性化、単純化、純粋化を欲するイスラムの想像力に対して、この上なく豊かで多様な可能性の道をきり開いた。」今回はここまでにしますが、本章「抽象芸術の本質と性格」についてはこれで終了です。