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新聞記事より「終わるからこそ幸福」
今日の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事より、その内容を取り上げます。「いつまでも…終わってほしくないほどのものが、幸福な生なのに、終わるからこそ幸福であるというパラドックス  古東哲明」この言葉に著者の鷲田精一氏がコメントを寄せています。「面白い映画も、果てしなく続けば『退屈どころか、不気味』だ。マラソンもゴールがあるから苦役にならない。同じように、ずっと続いてほしい幸福な人生もエンドマークがあるから愉しめるのだと、哲学者は言う。眼の前の光景も〈死〉という終わりのほうから見つめると、『とたんにやさしい光をおびて』くると。『思考の平均律』から。」昨日のNOTE(ブログ)に書いた「カタチあるものはすべて壊れる」のは、何も物質に限ったことではなく、私たちの人生にも言えることで、人には必ず死が訪れます。それは頭で理解していても、若かった私には実感が伴わず、自らの死をイメージすることが出来ませんでした。身近な人、たとえば祖父母や両親が死を迎えたことで、死を徐々に実感するわけですが、私は心のどこかで死を恐れているのも確かです。母が他界した時に、自らの死生観を考えるために、ショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」の中にあった死生観に関する箇所を熟読していました。人生にはエンドマークがあるからこそ充実するということも私は分かっていて、自分の創作活動もそのゴールに向かって突っ走っている意識はあります。死があるからこそ生が輝くのは、私が若い頃過ごしたウィーンに栄えた世紀末芸術の真髄で、自分が若かった時代に死がイメージできなくても、その爛熟した美しさを堪能してきました。生きる実感は終わりがあるからだと考えるのは、あるいは健康な精神状態かもしれず、それを受け入れて愉しんでいこうと思うのは私一人ではないと思っています。