2026.07.28
先日の朝日新聞「天声人語」の内容が気に留まったので引用いたします。「まるで作曲家ガーシュインがそこにいるかのような体験だった。誰も座っていない自動演奏ピアノの鍵盤が激しく動く。1931年のニューヨークでの演奏の音源を、データに落として再現したという。タイムスリップしたような錯覚に陥った。東京にあるスタインウェイで最新の自動演奏を聴かせてもらった。精緻なタッチの再現に驚いていると『いまの技術はその先にあります』と支配人の広瀬泉さんが言う。いまでは、自動演奏ピアノをネットにつなぐことである国での生演奏を、世界中どこでも同時に奏でられるようになった。鍵盤をたたく速度や深さのデータをピアノに送り演奏を再現しているという。演奏家が弾くのと同じ型のピアノが家にあれば、論理的には、演奏会場と全く同じ音が聞こえることになる。こうした配信コンサートが、各国で開かれるようになった。そんな説明を聞き、ふと考えた。家の自動演奏ピアノで聴く音は、本物なのか、複製なのか。近代以前の芸術は、その場、その瞬間だけに存在していた。だが、写真や映画といった複数技術の登場で、作品の唯一無二という特性は失われた。そして、何が真正かという問いは意味を持たなくなるー。1930年代、そう論じたのは、ドイツの思想家ヴァルター・ベンヤミンだった。それから約1世紀。デジタル技術の進化で、『生演奏』すら生まれる時代になった。本物と複製との線引きはますますぼやけ、意味のないものになっていくのかもしれない。」美術に関して言えば、版画は昔から複製としてのオリジナルが認められていました。彫刻も然り、塑造を型取りして樹脂やブロンズを流し込んだものも作者が認定すればオリジナルとしていました。最近では3Dプリンターで再現したものがあり、それはどうなのかという議論があります。ただ、本物だろうが複製だろうが、真正に感じられるものを味わえるのは現代のテクノロジーの成せる技で、特別に拘りのある収集家でなければ、感動を与えられるのならどちらでも良いと考えている私は、あまりにも乱暴でしょうか。