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チェルノブイリ原発事故を思う
昨日アップしたNOTE(ブログ)にチェルノブイリ原発事故に触れた箇所がありました。昨年の福島原発の事故と相俟ってチェルノブイリのことが自分の頭を一気に駆け巡ってしまい、昨日のNOTE(ブログ)は長い文章になってしまいました。今日改めて昨日の文章を2つに分けて、自分の中に居座り続けている不安や憔悴のことを書こうと思います。自分が30年前に滞欧生活を引き上げた後で、チェルノブイリ原発事故が発生しました。自分は1980年から85年の暮れまでヨーロッパにいたので、1986年4月のチェルノブイリ原発事故には遭遇していません。正直に言えば、自分はチェルノブイリ原発事故前に帰国できて安堵していました。不安や憔悴の起因として考えられるのは、その後何年も経過しているにも関わらず、あの時の環境汚染が将来に及ぼす漠然とした影響です。自分だけではどうにもならないものですが、昨年フクシマで発生した原発事故に対する恐れが30年前の記憶を呼び起こしてしまいました。今度ばかりは対岸の火事とは言えず、汚染された環境とどう付き合っていくのか日々自問しています。チェルノブイリ原発事故の検証は進んでいると思いますが、そこから見えてくるものは何でしょうか。フクシマは今後どうなっていくのでしょうか。不安や憔悴が自分の中に居座り続けているならば、作品をイメージする深層心理にその影が落ちないとは言えません。造形美術は時として現代に警鐘を鳴らすことがあります。意図せずとも時代を反映するのが個々の表現活動だからです。