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「意志と表象としての世界」第一巻の読後感
「意志と表象としての世界」(A・ショーペンハウワー著 西尾幹二訳 中央公論社)第一巻を読み終えました。「根拠の原理に従う表象 すなわち経験と科学との客観」という副題がついていますが、これをまとめる能力は自分には到底なく、頻度の高い語句を中心に、気に留まった箇所を引用することでまとめに代えさせていただきます。「人間が人生の全体を多面的に展望するのは理性のおかげで、人間が動物よりもまさっている点だが、このような理性によってなされる展望は、人生航路という名前の幾何学的な、色彩のない、抽象的な、縮小された見取図になぞられることもできる。人間が動物に対してもつ関係は、さながら海図、羅針儀、四分儀をたよりに航路と洋上におけるそのつどの位置を知っている船長と、ただ波と空だけを見ている無知な乗組員との関係のようなものだといえるであろう。」理性があってこそ人間が人間たる所以で、刹那に生きる動物との違いが分かりやすく述べられている箇所を引用しました。最後にショーペンハウワーがストア派の学説に言及している箇所を引用します。「わたしがストア派の倫理学の精髄をとらえたところによれば、そのそもそもの根源は次のような思想にあるようだ。すなわち、理性は人間の大きな特権であって、理性は計画的な行動とそこから生じる結果によって間接的に、人生と人生の重荷とをはなはだしく軽くしてくれるものであるが、この理性は単なる認識によって、すなわち直接的に、人生を満たしているあらゆる種類の苦悩と苦痛とを、完全にあるいは完全に近く、一気に人間から取りはらってしまう力をももっているのではないかという思想である。~略~欠乏ならびに苦痛は、ものを持たないということから直接に、かつ必然的に生じるのではなくて、ものを持ちたいという気持がありながら、しかも持っていないという状態からはじめて生じるのであって、したがってこの持ちたいという気持こそ、持っていない状態を欠乏と感じさせるのであり、これこそ、苦痛を生み出させる唯一の必然的な条件なのである。そう人は悟ったのであった。」引用は以上です。「私」における「表象」とは何か、そこを支える根拠の原理を探り、まず「表象としての世界」をさまざまな視点で捉えた第一巻でした。