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映画「ゴーギャン タヒチ、楽園への旅」雑感
画家ピカソやモディリアーニはアフリカ彫刻を見て、その始原的な美に感動し、それが契機になって現代美術の扉を開けました。ゴーギャンも生命力溢れる美を探求するため、タヒチに出かけました。タヒチでの生活はどうだったのか、ゴーギャン自ら綴った「ノア・ノア」という書籍があって、本作はその著書をベースに映画化されたようです。「ノア・ノア」は私も読みました。事実の記録というより、作者の幻想的な思いが入っていて、それはそれで面白い内容でしたが、映画はさらにフィクションを加えていました。美しい少女妻テフラを娶ったゴーギャンは、妻を若者に寝取られる妄想に駆られるシーンがあり、実際にも夫婦生活における西欧とのモラルの違いが描かれていましたが、「ノア・ノア」にそんな嫉妬の描写はなかったように思います。映画の中で私が刺激を受けたのは、ゴーギャンの素朴なアトリエと、テフラを熱心に油絵で描いている画家の姿でした。主役のV・カッセルがゴーギャンに似ていたこと、これは演技でも言えることですが、ゴーギャンを理解し、彼と一体化を図ることで、俳優が孤高で独特な芸術家に成りきれたのではないかと思いました。褐色の肌をした美しい妻テフラは、風貌に光が射して瑞々しく輝くシーンが何度もありました。テフラを演じた女優の訥々とした仕草にも惹かれました。当時タヒチはフランスの植民地で、西欧の宗教や文明が入ることで、独自の文化が失われてしまう危うさも描かれていました。ゴーギャンの自己中心的な生きざまは、美術史に名を刻んだ芸術家という痕跡を残したからこそ、多くの人が認めることになりましたが、そうでなかったらと想定すると、私個人としては複雑な思いに駆られます。最近の偉人を扱った映画は、単なる英雄伝に終わらない要素があって、何か言い尽くせないものを自分に投げかけてくるように感じます。芸術家の迷惑千万な生き方は、時の流れに迎合しないばかりか、関係者を不幸に陥れる結果になるからです。