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「ある日の彫刻家」読後感
「ある日の彫刻家」(酒井忠康著 未知谷刊)を読み終えました。現代彫刻に関する論考は、私にとって刺激であり、同時に癒しでもあります。本書に取上げられている彫刻家の中には、私が直接影響を受けた作家もいて、私自身が若かった頃に出会った作品の数々を思い出し、振り返ってみる絶好の機会になりました。空間を造形することは何て面白いんだろうと気づいてから40年が経ち、現在の私は陶彫による集合彫刻を作り、毎年ギャラリーせいほうで発表の機会を与えていただいています。本書の最後の章に木彫家橋本平八を取上げている箇所があり、私は「石に就て」という木彫の作品を見た時の印象が今も残っていて、この奇妙で貴重な作家が忘れられなくなりました。39歳で夭逝した彫刻家は「純粋芸術論」という遺稿集を残していて、今回私は初めてその論考に触れたのでした。本文から引用いたします。「『芸術は精神の表現であり彫刻は精神の立体的表現である』とか『芸術は精神への橋である。精神は芸術の法則である』とか『力量の表現に巧拙はない。古人の威力は偉大である』ーといったような一種のアフォリズムはともかく、漢語調の文体でしかも独特のいいまわしの遺稿集に、なぜかわたしは引き込まれ、~略~彼の感性がしばしば虚空を打ち、かつまたそれが何かリリックな表情に変貌するところを直に目撃しているかのような錯覚にも襲われた。」と著者は綴っていました。暫く読み進むと、私に不思議な興趣を感じさせた「石に就て」という木彫の作品を「純粋芸術論」の中で取上げている部分を紹介しています。「彫刻の驚異或は彫刻の芸術的価値は、その天然の模倣でないことは勿論であるが、それと全く撰を異にし、而も天然自然の実在性を確保する性質のもの、即ち同じ石にも石であり乍ら石を解脱して、石を超越した生命を持つ石、そんな石が不可思議な魅力でもって芸術的観念に働きかけてくる。さうした石が石のうちに存在する。石の石らしさを超越した石。それは石にしてあまりに異相である場合がそれで、異相と言ふけれども不自然な形態或は石でないものに似てゐる。変貌ではなくて完璧なる石の姿をなしてゐるものである。要するに人間にとって不可思議な姿をもつ石。左様な石が稀にあるのだから妙である。」うーん、ニュアンスが分かるけれども、素材を超えた精神性に立脚した奥深い思索であろうと思いました。最後の章も含めて「ある日の彫刻家」を楽しく読ませていただきました。