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「モディリアーニ」第2章のまとめ
「モディリアーニ 夢を守りつづけたボヘミアン」(ジューン・ローズ著 宮下規久朗・橋本啓子訳 西村書店)の第2章「旅からの霊感」のまとめを行ないます。第1章でモディリアーニは、スペイン系ユダヤ人としてイタリアの裕福な家庭に生まれたこと、病弱で生死の境を彷徨い、その都度母親のエウジェニアの献身的な看病を受けたこと、その折に読書や夢想に耽って芸術家としての下地が作られたこと等、モディリアーニの幼少期から少年期に到る生育歴が綴られていました。第2章ではイタリア各地を旅するモディリアーニが描かれていますが、まだ母親の保護下にあって、着実に画家への道を歩み始めていたのはよく分かりました。私が注目したところはモディリアーニが画家になる前に彫刻家を志していたことがあって、その箇所も引用したいと思います。まずは前章の確認のような文章を引用します。「エウジェニアは彼を甘やかし、不安定きわまりない将来に生きる望みを抱かせようとした。彼女は彼が健康になってくれさえすればよかったのである。~略~エウジェニアが驚いたのは、彼は普段移り気で落ち着きがない子だったのに、ギリシャやローマの美しい彫像に感嘆しながら何時間でもじっと立ち尽くすことであった。」モディリアーニはオーストリアに登山に行く予定もあったようですが、結局都市から離れることはありませんでした。「生涯を通じて彼に最良の作品を生む霊感を与えたのは都市の喧騒であった。彼は健康と自信を回復するにつれ、芸術家として感性と、療養による制約やエウジェニアの息苦しいほどの献身的態度との相剋が明瞭になってきた。」ここで彫刻制作についての文章がありました。「彼は暑い夏にリヴォルノに帰り、彫刻家になるという野望を大胆にも実行に移そうと努力をした。~略~彼は有名な大理石の石切り場カラーラから5マイル下がったところにある小さな美しい街ピエトラサンタに宿をとり、三点の素朴な彫刻、二点は頭部で一点は胴体、を制作した。~略~石のほこりは彼の喉を害して咳をさせ、また制作はきつくて退屈であったが、こうした人生の早い時期にのみと槌を使って制作したために、モディリアーニは素材を尊重し、石を用いる芸術家だけでなく職人にも敬意を抱くようになったのである。」モディリアーニの数少ない彫刻は私に感動を齎せてくれました。アフリカの民族彫刻に見られるようなプリミティヴな力が宿っていると感じたからです。パリに旅立つ前のモディリアーニの外見を描いた一文がありました。第3章に入る前にこれを引用いたします。「(画家兼文筆家)ソッフィーナはモディリアーニの『優美な容貌と優雅な外見』に感銘を受け、少ししか食べず、ワインを水で割り、『偉大なる平静心』を持つ優しく行儀のよい少年としてこの画家を記憶している。後半生のモディリアーニは、苦悩に満ち、取り乱した男として登場するが、これは初期の彼は穏やかで落ち着いた若者というイメージと興味深い対照をなしている。」