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池袋の「自由学園明日館」
昨日、東京池袋に「自由学園明日館」を見に行ってきました。「自由学園明日館」はテレビで紹介されていて、一度行って見たいと思っていたのでした。池袋駅から歩いて数分という立地に驚きましたが、創立された1921年当時は武蔵野の雑木林が残っていたようで、現在のような高層ビルに囲まれている環境ではなかったのでした。創立者は新聞記者だった羽生吉一とその妻もと子で、とくにもと子は「婦人之友」を創刊した人として知られ、子女教育の重要性に着目して本校を設立しています。夫妻は伝手を頼って帝国ホテル建設中のフランク・ロイド・ライトを訪ね、女学校校舎の設計を依頼したのでした。写真集から言葉を引用します。「美の規範としての左右対称というのは、万人を納得させる手易くて効果のある手法。多くの権威を誇示する建物に用いられてきたが、明日館はそうした威圧感がない。それは、中心性を強調しない左右対称の造形にまとめたことにある。~略~畳を基準尺度として展開する和風の建築は、ライトに深い感銘を与えた。6帖の間、8帖の間などと広さのみ規制されたそれぞれの部屋は、いわば無目的的であり、しかし多目的的である。使い勝手は使い手が決める。2つの部屋の境界となっている襖や障子を取り払えば、さらに大きい空間が確保できる。そうしたフレキシブルな空間に魅せられたライトは、ホール、食堂、厨房を隣接させ、層状に重ねて、ドラマチックな空間を醸成した。」(谷川正己著)和風の空間を西洋建築に取り入れて、全体的にすっきりまとめた印象があるのは、こんな理由によるものかもしれません。日本では架構式工法が一般的ですが、ライトは西洋の組積式工法で建築を作り上げていました。「自由学園明日館」の屋根蓋も築かれた壁全体で支える方法だったことも写真集にありました。当時は安価な材料で作られていたこともあって、自由学園が久留米市に移動してしまうと、明日館は忘れ去られた存在になり、材料が朽ちた状況でした。1997年に国指定の重要文化財になると修復工事が始まり、2002年に当時の麗姿が蘇ったようです。併設されている講堂も見てきましたが、ここではコンサートや講演会が開かれていたり、結婚式の予約も受け付けていました。施設を有効利用しながら保存をしていく動態保存というカタチをとって、現在は運営されているようです。