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「超越論的ー論理学的問題設定の諸疑問」第69節~70節について
「形式論理学と超越論的論理学」(エトムント・フッサール著 立松弘孝訳 みすず書房)の小節のまとめを行います。第二篇「形式論理学から超越論的論理学」の第2章「超越論的ー論理学的な問題設定の最後の諸疑問、基本概念の諸問題」に今回から入りますが、題名が長いので、題名表示を多少省略をさせていただきました。今回は第69節から第70節を読み解いていこうと思います。第69節は明証性についての論考です。明証性は至る所に登場していて、論理学を学問的に扱う上で重要な語彙であることが分かります。「(明証性においては)最前は主題化されない素朴な態度で簡単に行なった形成作用を主題にした反省が必要である。その場合に大切なことは、その形成作用の中で最初に唯一《与えられていた》形成物と一般的な諸形式(一層高次の形成物)を《明確にすること》であり、そうすることによって、それらの形成物と諸形式の対象的意味を根本的な目標にして、その意味を実現する志向性を解明することによって、この意味自身を正しい仕方で把握し、その範囲を限定して、その同一性を確保して、素朴な態度では生じうるあらゆる変動と隠蔽を防ぐことである。」第70節では構成についての根源的研究が続き、「論理学自身の根本的なテーマが混乱した状況では、いったいどのようにして学問的な論理学が可能になるというのであろう?」という発問があり、今までの研究成果を振り返る機会がありました。「(主観的な諸研究においては)研究はどれも根源的な論理学的方法の開明と批判についての基本的な諸研究を特徴にしているので、これらすべての研究は分析論の《基本的諸概念》を根源的に創作する方法の探究と呼ぶこともできる。しかもこの創作は〈それら各基本概念にとって同一で、あらゆる変動から守られている本質を、われわれに保証してくれるような明証性〉の中で行なわれるのである。」論理学を学問として体系化していこうとする本書の論理的な考察の仕方に慣れてきましたが、おそらくドイツ語訳の独特な言い回しがあって、日本語にすると難しくなってしまう嫌いがあるのではないかと察しています。ところどころドイツ語表記があり、私にとって懐かしい語彙が出てくると、そうか、この言葉はこんなふうに訳しているのかと思うことがあります。と言っても言語で読めるほど私には語彙力がないので、翻訳に頼らざるをえない自分がいます。