Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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東京両国の「古代エジプト展」
昨日、家内と東京両国にある江戸東京博物館で開催されている「古代エジプト展」に行ってきました。展覧会に行くのは久しぶりで、たっぷり一日をかけて企画展と常設展を見て回りました。例年なら時間がない中で焦って鑑賞していたところを、たった1箇所をのんびり見たのは初めてかもしれません。本展はドイツの国立ベルリン・エジプト博物館所蔵作品を持ってきていて、同館の優れた収集作品に接して満足を覚えました。副題を「天地創造の神話」としていて、紀元前に栄えたエジプト文明の輪郭が辿れるような構成になっていました。つまり神の領域としての天、人間の住処としての地、そして人間と神が直接出会う場所としての来世があると古代エジプト人は考えていて、展覧会そのものが空間的構造だけではなく、時間的次元を通り抜けるように演出されていました。図録によると「あらゆる宗教は、死後何が起きるのかという問いに対する答えを探している。古代エジプト人たちは先王朝時代にすでに死者のための墓を建立しており、また副葬品は、死後の人生に対する信仰を傍証している。王朝時代以降、来世に関する考えは独自の文書形式に定着し、絶えず発展してきた。~略~『死者の書』は、常に裁判の肯定的な結末を描き、個々の供述において肯定的なことのみを発言するよう心臓に迫る。エジプト人たちにとっては、すべての図像や碑文は真実かつ現実であるとされ、この決まり事によって、自己に有利な結果にすることができた。」(オリビア・ツォーン著)とありました。また副題である「天地創造の神話」について世界的な比較を試みた論考にも惹かれました。「世界の最初が混沌であったという考え方は、ユダヤ教の『創世記』にも、ヘシオドスの『神統記』にも、そしてヘリオポリスの創生神話にも見られることである。これらを比較してみると、『創世記』の〔混沌〕は、神が造ったものである。最初に神が天地を創造したのであるが、神が造った地が、〔混沌〕としていたのであった。しかし一方、『神統記』やヘリオポリスの神話では、まず〔混沌(カオス)〕が存在している世界があって、その後に神々が誕生しているのである。そういう意味では、『日本書紀』の最初の部分もまた、混沌とした中から天地が誕生して、その後、神が出現すると記されていることは、古代エジプトの創世神話に共通しているようだ。」(近藤二郎著)展示されたものの中で私は全長4メートルに及ぶ「タレメチュエンバステトの『死者の書』」に引き寄せられました。これは死後に必要な知識を呪文と挿絵によって示していて、来世でも生命が続くように神々に懇願するものであったようです。巨大なミイラの棺にしても彫像やレリーフなどが、すべて来世に繋がるものとして造形を捉えていたところに、エジプト古代美術の真髄があると思いました。