Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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成人の日に思うこと
今日は成人の日です。20歳で迎える成人は今年が最後で、選挙権年齢が18歳に引き下げられたことや、国際的に18歳成人が主流であることなどから、今年4月より「成年」の定義が見直されることとなりました。今後は18歳で親の同意を得ずに、自分の意思で様々な契約ができるようになりますが、その一方で、飲酒や喫煙、競馬・競輪などはこれまでと同様、20歳までは禁止としています。そもそも成人を祝う儀礼は古くからあり、男子には元服・褌祝、女子には裳着・結髪などがありました。今日工房に来ていた2人の高校生も来年は成人となり、私には複雑な思いが込み上げていました。自分の20歳の頃は何をしていたか、世間から成人と扱われることに戸惑いもありました。私はまだ学生で、親の保護の下で好き勝手なことをやっていたことに躊躇もありました。好き勝手なことで社会に貢献できるものはなく、私は大学という組織に守られながら自己中心の欲求に従っていたのでしたが、芸術という魔力に益々犯されていて、社会人として働いている同期生に会うと、私は俯いてしまうのでした。経済的に安定しないことは社会人としてどうなのかを問いかけつつ、私はとんでもないものを生きがいに感じていて、将来に対する漠然とした不安はありました。とんでもないもの、それは芸術分野の中でも手間がかかり、制作場所にある程度の空間を必要とする彫刻表現でした。これは大学の中だけでやっていくものだと割り切っている友人もいましたが、私の考えは違っていました。20歳を境にして私は、このとんでもないものを生涯の目標に据えました。その経済的保険として教職公務員になりましたが、教職は思っているほど甘くはなく、結果として私は二兎を追う者になりました。私にとって成人の日とは、早々に自立することではなく、生きがいとする目標が見えた日であったと思い返しています。自立はその後からやってきました。成人の日に私はそんな思いが頭を巡りました。