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「総論ーお面の考古学」のまとめ
「仮面ーそのパワーとメッセージ」(佐原真監修 勝又洋子編 里文出版)の最初の章である「総論ーお面の考古学」をまとめます。「奈良正倉院・東大寺・法隆寺には、八世紀のお面が沢山残っていて、伎楽面という名が伝わっています。正倉院宝物には、布に目鼻を描いた布作面もあります。~略~大舎人寮という役所が担当した追儺の行事の記録のなかに、仮面という語がみえるのです。追儺は、古代の宮廷が年末の大晦日におこなった年中行事で、中国に起源をもち、朝鮮半島、日本におよびました。この行事では、方相氏という役が鬼を払います。その方相氏が仮面をつけ、その仮面には黄金に輝く四つの目がついていたのです。」本書では冒頭に日本の伝承が登場しますが、仮面の有無を、狩猟民、牧畜民・農民として分けて考えた文章にまず気を留めました。「お面は本来農民のものであり、狩猟民のなかでは北太平洋沿岸の人びとだけが例外的にお面をもち、わが縄紋文化のお面もその一環をなしている。そして遊牧民はお面をもたない。それが今まで主に民族学から追究したお面と生業の係わりについての結論とみてよいでしょう。」ところが民族学と考古学とのズレが生じていることにも注目しました。「少数の書物、論文を垣間みただけでも、先史時代の各地の狩猟民がお面をつけ、仮装したことを世界の考古学はしめしています。それを網羅的に集成し研究することは、大変な作業になるでしょう。牧畜民のお面ももっとみつかるかもしれません。農業が始まる前に、お面と仮装が世界各地の狩猟民のあいだで誕生したことは疑いありません。~略~先史時代の狩猟民のお面と仮装の目的については、ふつう、およそ三つがあるとみられています。その第一は、生きている人びとと神霊との間を仲立ちして神霊と語り合うことの出来る人、呪術師の装いです。第二は、狩人たちの踊りの装い、第三は狩りのときのおとりの装いです。」おとりというのは、毛皮を装うと動物の体の臭いを放って人の臭いを消すことになり、人が獲物の群れに接近できたということを指します。人がお面をつけて仮装を始めた契機だったのかもしれません。(引用は全て佐原真著)今日はここまでにします。