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「現代に生きる仮面」のまとめ
「仮面ーそのパワーとメッセージ」(佐原真監修 勝又洋子編 里文出版)の「現代に生きる仮面」をまとめます。副題に「変身するヒーローたちの系譜」とあり、この章ではテレビや漫画に登場する仮面をつけたヒーローに絡ませた仮面論が展開していきます。冒頭にはこんな文章がありました。「日本人は、いつから『面(めん・おもて)』という言葉よりも、『仮面』という言葉を好んで使うようになったのだろう。すでに延喜式(927年)に、追儺に登場する『假面』の記載はあるが、一般の人びとのあいだで、『面(めん)』より『仮面』という言葉が定着していく過程は、おそらく、素顔こそ唯一無二の実在であり、仮面はそれを覆うまやかしの道具だという信念が一般化していく過程と平行しており、したがって、坂部恵のいうとおり、自己同一的な近代的自我の確立の過程と重なっていたはずである。西洋近代の影響下で形成された自己同一的な自我のもとでは、自分が自分以外の存在になるなど虚構の世界の出来事でしかありえない。~略~仮面による変身と現実とみなす儀礼の世界と、虚構とみなすテレビや漫画の世界のあいだには、決定的な断絶があるようにみえる。」さらに変身するヒーローたちに対してこんな結論を導いています。「宇宙や細胞工学というきわめて現代的な装いをもって登場してきている現代の仮面のヒーロー、変身するヒーローたちも、結局はみごとに、山や空といった異界からやってきて、窮地にある人びとを助け去っていくという、来訪神の物語を踏襲しているということになる。」民俗の中の仮面にも注目しました。「日本の仮面といえば、まず思い出されるのが、秋田県・男鹿半島のナマハゲであろう。~略~柳田国男は、これら日本各地にみられる神の来訪の行事は、『本来一つの根源に出づる』ものだとし、『1年の境に、遠い国から村を訪れて遥々神の来ることを、確信せしめんが為の計画ある幻しであった』と述べている。折口信夫も、これら行事において『村から遠い處に居る霊的な者が、春の初めに、村人の間にある予祝と教訓を垂れる為に来るのだ』といい、その信仰を『まれびと』という言葉を用いて説明している。」つまり、日本の仮面をまとめるとこんな文になります。「日本における仮面は、古くから神の来訪の行事や神楽といった神事においても、また神事を脱して芸能化の進んだ能においても、さらには現代の漫画やテレビにおいても、一貫して異界から一時的にやってくる来訪者を可視化するために用いられてきた。~略~仮面は人間がそうした異界の力を一時的に目にみえるかたちにし、それにはたらきかけることで、その力そのものをコントロールしようとしてつくりだしてきたもののように思われる。そして、テレビの画面のなかで繰り広げられる現代の仮面ヒーローたちの活躍もまた、それと同じ欲求に根ざしているのである。」(引用は全て吉田憲司著)