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「東洋のマスクロード」のまとめ
「仮面ーそのパワーとメッセージ」(佐原真監修 勝又洋子編 里文出版)の「東洋のマスクロード」をまとめます。日本最古の仮面劇「伎楽」とは何か、導入としてこんなことが述べられていました。「伎楽とは、別名『呉歌舞』とも呼ばれ、六世紀から七世紀にかけて大陸から日本にもたらされた仏教芸能で、我が国最古の仮面劇というのが定説になっている。鎌倉時代に書かれた狛近眞の『教訓抄』によれば、612(推古20)年に百済国の味摩之によって伎楽が伝えられたということになっているが、それ以前の550年代の欽明朝の史料に、伎楽科一式が日本にもたらされたと記されていることからも、伎楽はもっと以前の538(宣化1)年、百済の扶余から仏教が伝来したときには、すでに何らかの形で伝来していたものと私は推測している。」大きく捉えれば伎楽は「はるか新石器時代頃から、ユーラシア大陸に住んでいた我々人類に共通して信じられていた神話や思想、自然との共生といった智恵が起源となっているようである。」ここで伎楽面の種類について書かれていました。まず治道。「鼻高面は、道の先頭を歩き、道を清める役割を担っている。現代的に言えば、治道の長い鼻はファイバースコープのようなもので、目に見えない悪魔を誘き出す役目を持っている。」次に獅子。「獅子は治道と同じように辟邪の役目を担っている。そのため治道が目に見えない悪い悪魔を見つけると、獅子が即座に噛みついて、退治するという意味にあてられていたのだろう。」次に獅子児。「実は子供は澄んだ心を持っているため、悪魔を見つけ出す役目があると考えられていた。それゆえ子供にも辟邪の効果があるとされた。」次に呉公と呉女。「『教訓抄』で、笛を吹くと記されている呉公とは、気高い呉の王様のことであろう。そして呉女は呉公の妻であったと思われる。」次に金剛と力士。「伎楽が仏教芸能として中国で編集された折に、仏を加護する金剛と力士になったのであろう。」次に崑崙。「崑崙の仮面は伎楽面のなかでも一際大きく、牙があり、蛮族をあらわしている。」次に迦楼羅。「迦楼羅は仏教を守護する八部衆のひとりであるが、元はヒンドゥー教の神ヴィシュヌの使い、ガルーダである。」次に婆羅門。「インドのカーストの一番高い地位にある婆羅門は、『教訓抄』では襁褓洗い、オムツを洗っている人と揶揄されている。」次に太狐父・太狐児。「伎楽でも太狐父と太狐児は五体投地をしたといわれている。」最後に酔胡王と酔胡従。「ペルシャの酔っ払った王様とその家来たちが酔胡王と酔胡従。」狂言面のルーツに触れた箇所もありました。「狂言面のルーツは、黒式尉、三番叟と呼ばれる黒い切り顎の仮面である。これは東大寺二月堂のお水取り(修二会)で行われていた六十六番からなる法会のうち、三つの儀式を猿楽が受け持ったことに端を発する。」(引用は全て野村万之丞著)