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「神楽と仮面」のまとめ
「九州の民俗仮面」(高見剛 写真・高見乾司 文 鉱脈社)の「神楽と仮面」をまとめます。そもそも神楽とは何か、これに関する文章を引用いたします。「『神楽』の語源は『神座=かみくら』であり、神を招き、神と遊ぶことが神楽であった。すなわち、山の神祭りも、田植えの祭りも『神座=神倉=鹿倉=カグラ』であった。」さらに古代中国にあった五行思想の影響を受けているという考察もありました。「神楽における五行思想の影響とは、穢れすなわち陰の気を、潮水で洗うことによって陽の気に復元する『禊祓い』、五万の神に天地安寧を祈願する『神迎え』、御神屋の中央天上を飾る『天蓋』や切り飾り、五色の御幣、四神による剣の舞、五方の神による『五穀舞い』『五龍王=五郎王子の舞い』『鬼神の舞い』などがある。~略~五行の思想は周から春秋・戦国時代ごろ発生し、日本にも伝わり、古代出雲文化圏を中心に伝えられ、出雲神楽や備中神楽、出雲神話などとともに語り伝えられていたのではないか。」大陸から伝承したものが日本でカタチを変えて現在の姿になったことは充分頷けます。「神楽と仮面、芸能史と仮面の普及などを考えるうえで、修験道と神楽の関係もまた重要な位置づけとなる。修験道とは、日本列島の基層文化である山岳信仰や巨石信仰などと渡来の五行思想、道教、密教などが混交し、仏教とも習合して体系化された宗教である。全国の多くの高山が修験の霊地とされ、厳しい峰入り修行を行い、験力を獲得した修験者=山伏たちは、『神』『天狗』『山人』などとして信仰を集め、畏怖される集団となった。~略~修験道の中核は『峰入り』であり、山岳に入り、修行し、『生まれ清まり』を経て里へと回帰する『擬死再生』の儀礼である。その過程や修行の終了時などにさまざまな芸能が奉納されたのである。これが『神楽』であった。」今回はここまでにします。