Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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地元の学校運営協議会
私が教職に就いていた頃は、自分の住んでいる地元のことに無頓着でした。勤務先の学校のある地域の行事や会議に頻繁に出かけて、地域と学校の連携に努めていました。昨年の退職を機会に自分の地元に目を向けようと考えていた時に、地元の公立中学校の校長から学校運営協議会に誘われて、遅れ馳せながら地元に貢献してみようかと考えました。私が住んでいる場所は、横浜市でも郊外になり、今も田畑や雑木林が残っています。私の小さな頃に比べれば、宅地造成が進み、駅前にも高層マンションが建ちましたが、横浜の中心地に比べれば、まだ緑の多い地域ではないかと思っています。そこでは鎌倉時代には畠山重忠が北条義時率いる大軍に攻められて滅ぼされた事件があり、その古戦場が万騎が原という地名になったという由縁があります。私が学校運営協議会に誘われた中学校は、私の母校であり、当時は横浜屈指のマンモス校でした。1学年で十数クラスあり、私は10期生でした。その頃はまだ旭区もなくて、中学校は保土ヶ谷区に属していました。学校運営協議会は地域教育行政の学校運営に関する法律があって存在するもので、通常の地域会議とは異なります。委員には報酬が支払われるので、これはボランティアではありません。私は生徒目線に立って、彼らの安心安全のために何か施策を考えていこうと提案してみました。私が校長職にあった時に、こんなことが出来たかもしれないと思っていて、それを地元への貢献として返していきたいと思っています。