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千葉の「清水九兵衛/六兵衛」展
昨日、千葉市美術館で開催している「清水九兵衛/六兵衛」展に行ってきました。京都の伝統的な陶芸家であり、現代彫刻の代表格でもあった清水九兵衛/六兵衛は特殊な環境で創作活動を続けてこられた人でした。図録には陶芸家第七代清水六兵衛としての側面と、彫刻家清水九兵衛としての側面で、それぞれその道の方々がインタビューを受けていたのが掲載されていました。「清水さんの場合は、私より工房経営のウエイトが絶対に大きかったと思う。全然違うから、うちと六兵衛家とでは。それに清水焼だったら清水六兵衛家という、名前の方での世間の受け取り方もね。私は六兵衛家の歴史や立場について勉強したわけでもなかったし、六代さんもうちに一回来ただけで考え方や人柄もよく知らなかった。だから、清水さんが名古屋で生まれて東京で勉強して六兵衛家の養子になって京都に来てやきものを初めて制作すること、六代さんが全盛の時代に(七代目は)土をやめて彫刻にかわったということ、それこそ六兵衛家という家にいて、彫刻とやきものを両方ともすることってできるのかなと思ったけど、清水さんは両方の素材で制作を続けた。」(三代宮永東山談)続いて彫刻についてのインタビューです。「彫刻は重力に抗する垂直性がひとつの重要な柱ですが、清水さんは水平性の彫刻のおもしろさに気づいた。彼の作品に見られる水平への展開は、空間性を獲得しようと思った時に、工芸ではあり得ないような面としての広がりに彫刻ならではの可能性を感じたのではないかと思う。~略~若林奮さんの場合、《北方金属》(1966)や《2.5mの犬》(1968)とか、文学的な傑作がいくつもあります。文学性は悪くすると作品をヤワにしてしまうものですが、若林さんの場合はものすごいポエジーを抱えている人で、あそこまで行くと彫刻にしか出来ない強度のある表現が過激に出てくる。若林さんの作品が持っている文学性や情緒性、ポエジーと清水さんのポエジーは対極的です。清水さんのやきものとアルミニウムによる作品は、肯定的に見れば、組み合わせの妙が出ている。アルミニウムだけの作品には見られない雰囲気とか、焼成のなかで生まれる排除できない偶然性が持つニュアンスが表出される。それを金属と組み合わせた時の独特な感じといってもいいでしょう。」(建畠哲談)図録からの長い引用になって恐縮ですが、清水九兵衛/六兵衛ワールドを理解するには、陶芸と彫刻双方の考え方が必要と感じたので、インタビュー記事を書かせていただきました。陶土とアルミニウム、どちらかと言えば、作家はアルミニウムの方に自由な発想の発露があったのかなぁと、展覧会場を歩きながら私には感じられました。