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「高村光太郎と近代彫刻」のまとめ③
「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の「第二部 芸術論の展開」の「2 高村光太郎と近代彫刻」を3つの要点にまとめて記述しています。今日はその最終編です。「ロダンが大正六年に没すると、さっそく『白樺』は翌年1月にロダン追悼号を出す。~略~ロダンに対する無条件な熱狂と賛美が一段落すると見てもよいのではないか。その段階で、ヒルデブラントの彫刻観がロダンのそれと対極的な構造を持つものとして、光太郎の彫刻論に再浮上してくるのである。~略~今や光太郎は、かつて『観るべきもの』であったロダンの作品を公然と批判するようになる。ロダンは『美の一片は美の全体である』と語った。『ロダンの天与の指頭が触れるところ、一塊の粘土、一片の石、皆たちどころに生命を持った。彼は此所に彫刻の奥義を認めた。指一本、ばらばらな肢体といへども既に全彫刻である』。だが芸術について、『全量ハ其ノ総テノ部分ノ和ニ等シ』という幾何学の公理には通用しない。ロダンはしばしばコンポジションの能力に欠けていると評された。光太郎によれば、それは能力の過剰によるものだという。」ここでロダンの触覚的な彫刻よりも、ドイツ人彫刻家ヒルデブラントの視覚的統一体に論点が移り、改めて彫刻の何たるかを問い直しているのです。「彫刻家の課題は、実在する形としての『存在形式』を、視覚的仮象としての『作用形式』へと転化することであり、そこに現われる空間や形の作用現実性の処理に彫刻の芸術としての一切がかかっているのである。~略~『極めて遠距離から観察すれば、ロダンによる生命主義とヒルデブラントによる形式主義とを二源流とする二つの流れのもつれ合ひと見ることが出来るのである』と、光太郎は述べている。すなわち『ロダンの影響を必ずしも反発せず、唯おもむろに各人の天性を変革する事に努力しつつある者と、彫刻の純粋性を形式の問題に蒸留させて、全く意識を異にした領域に彫刻を変革しつつある者』とである。後者の『ヒルデブラント風の理知主義に脈を引いてゐる形式主義の一団』として挙げられているのが、ブランクーシ、アルキペンコ、リプリッツらの立体派や抽象派である。さらにフォーヴの運動から起こった原始趣味、これが形式主義と結合してその影響は、ザッキン、オルロフ、あるいはバルラッハにまで及んでいると述べている。」光太郎の先駆的な眼差しには驚嘆すべきものがあると著者は付け加えていますが、私も同感です。