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「浪漫主義と日本」のまとめ①
「美学事始」(神林恒道著 勁草書房)の「第二部 芸術論の展開」の「3 浪漫主義と日本」を前後半に分けてまとめます。浪漫主義と聞くと私には不思議な感慨が込み上げてきます。「日本の近代において、西欧から写実主義、自然主義、印象主義、表現主義などのさまざまなイズムが流入してきた中で『浪漫主義』あるいは『ロマン主義』は、その音訳がそのまま日本語に定着してしまった唯一のものではないだろうか。」私にはセンチメンタルなイメージが付き纏う浪漫主義でしたが、それは与謝野鉄幹曰く「自我独創の詩」を楽しもうとする姿勢があることに尽きるようです。「『文学界』が創刊された頃には、すでに若い世代の意識は一変していた。それまではほとんど知られることのなかった西欧の文学が堰を切ったように、一時にどっと流れ込んで来たのである。しかもダンテも、シェイクスピアも、ゲーテも、バイロンも、ハイネも、それこそさまざまな時代とさまざまな国の文学が後先の関係なしに、一挙に入ってきたのである。その混沌とした状況の中で、これら西欧の文学を貫くキーワードが模索され始める。そしてそこから漠然と見えてきたのが、芸術創造の原理としての『自我』の理念だったのではなかろうか。」浪漫主義文学はこの理念をわがものにしようとして近代化を図ったように思われます。「フランスのロマン主義は、ドイツのロマン主義を誤解するところから始まったというが、日本の浪漫主義は、ロマン主義とは何かをはっきり見定めないまま、いわば見切り発車的に始まってしまったように見える。そもそもの発端においてすら、どのような抵抗物があったのかも判然としないのである。~略~そうした中で、西欧のロマン主義の論理を、確信犯的にわがものにしてしまった思想家がいた。それが岡倉天心である。~略~天心の思想は、かつての西欧的近代の一元的支配から脱却した、多元的な文化の並存という状況において今まさに求められている、アジア的あるいは日本的文化のアイデンティティについての最初の真摯な反省であり、その先駆的主張として、再検討あるいは再評価されなければならないのではなかろうか。」今回はここまでにします。