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「人体と石塊」について
「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)は彫刻家と美術評論家の対話を通して、彫刻の歴史について語っている書籍です。全体で18の項目があり、今日は8番目の「人体と石塊」について、留意した台詞を取り上げます。「3000年ほど前にメキシコ南部のオルメカ人たちが彫った頭像は、ほとんど抽象彫刻です。とても大きな玄武岩の塊は、かろうじて人間、それもおそらくは支配者層の顔貌とわかる程度にしか、変更も加えられていません。まだ自然のままの丸い塊に見えるのです。~略~石は自然の産物です。だからその特性も特質も、種類によってぜんぜん違います。鉄は鉱石を溶解してつくるものですし、粘土は焼成されてその物理的組成を変えてしまいます。でも石は、大地から掘り出されたままの性質で用いられるのです。」(M・ゲイフォード)話は石彫家ミケランジェロに及びます。「ミケランジェロにとってすべての《ピエタ》の展開ー半世紀以上に渡って3つの群像を彫り上げたーは、彫刻とは何か、彫刻はなにを成し遂げられるのかについての熟考だったと僕は考えている。と同時に、その作品は生と死についてのものであり、さらには死は避けることのできない僕らが支えあうための手段でもある。これは誰のからだなのか?誰が誰を支えているのか?彫刻することすべてが問いかけになることで、作品は力強くなっている。~略~《ロンダニーニのピエタ》の裏側に回ってみると~略~芸術家が石をかたちづくるのではなく、石そのものの言語を用いて石と親密に語り合っているような印象を受ける。石との交感がこの作品を突き動かしたかのようだ。その語らいは12年間も続いた。」(A・ゴームリー)次に石彫の超絶技巧というべきジャンボローニャの作品が登場します。「ここでの挑戦は、一片の石材から3つの人体を彫り出すことです。それだけでも大変な難題ですが、さらには同時にその3つを絡み合う蛇のような形態にまとめようとしたのでした。これはもう、人体の各部を組み合わせるジグソーパズルです。そしてもし、ジャンボローニャの身近にこの人体と同じだけの体長を持ったモデルが実際にいなければ、これは人体の表現としては辻褄の合わないものになってしまっていたでしょう。」(M・ゲイフォード)「女性像はまるで空の世界に住んでいるかのように見えてくる。ボッティチェルリの描く宙に浮かぶ人物像のように、そしておそらく彼女が飛び去ろうとした丁度そのときに巨人に捕まったのだと思えてくる。あらゆるつなぎの部分から眼を離せなくなるね。胸と太ももがどのように連動しているか、そしてそのあいだの溝がどれだけ深いのかと。」(A・ゴームリー)今回はここまでにします。