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「青銅の時代」について
「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)は彫刻家と美術評論家の対話を通して、彫刻の歴史について語っている書籍です。全体で18の項目があり、今日は9番目の「青銅の時代」について、留意した台詞を取り上げます。「『青銅器時代』というのは人類史の転換期でしたが、その名称はまさにこの可能性と制作法の変化にちなんでいます。決定的になった発見とは次のようなものでした。つまり、銅に錫、さらに場合によってはほかのさまざまな金属ーなんの金属をどのくらい足すかについてはかなりの幅があるのですがーを加え、さらに砒素のような物質をそこに足すと、その合金全体が強化され、また融点が下がって鋳造しやすくなることがある。私たちが『青銅の』と呼んでいる彫刻も、まさにこのように合成された、純度の低い雑多な金属の合金によって鋳造されています。」(M・ゲイフォード)「ロダンが彼の画期的な人体像を《青銅時代》と名付けたのは、じつはこの素材に意味を持たせたいと考えていたことを示唆しているように思える。ほっそりとしたからだつきの裸の男は、片方の手はなにも持たず、眼を閉じて、もう一方の手で頭をつかんでいる。これはどういう意味なんだろうか?この作品でロダンがやっていることは、その金属を重要なものにすることだ。そして彼はその素材を特定の意味と結びつけている。青銅は人類の進化に関係のあるー剣や盾、矢をつくるのに用いられたー物質だ。武器を持たない裸の彼はこのことを理解するに至った。彼は僕らにも同様の理解を促していて、この彫刻は極めて高い水準で、見る者に心理的な共感を呼び起こすひとつの触媒となるものだ。」(A・ゴームリー)「近代社会では青銅彫刻というのは、それでつくられた像がなにかよくない印象を持っているから、問題になるのかもしれませんね。世界中の都市の街角に、青銅でできた馬上にふんぞりかえった王の騎馬像の大連隊や台座の上で威張る政治家の中連隊があふれているのがちょっと気になるな、というわけです。でもそれだけの数があるのもたいていは青銅が完璧な素材だからなのです。強く、多用途に使え、長持ちし、そして美しい。」(M・ゲイフォード)「ほとんどの青銅彫刻はある意味では僕らに一杯食らわせているんだ。もちろん意図的にそうしているわけではないのは明らかだけど、世界中に存在するものすごい数の青銅の泡、つまり清らかな女性のヌードや躍動感のある男性像を思い浮かべてごらん。作者たちが最後まで僕らに隠し通したいことは、そういう作品が外観だけのまやかしだということだ。でも僕にとってはむしろそれがすごく大きな意味を持っていた。空っぽであることは彫刻の有力なテーマであるということを、どうにかして受け入れなければならなかったということなんだ。」(A・ゴームリー)今回はここまでにします。