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「建造物のなかの人体」について
「彫刻の歴史」(A・ゴームリー M・ゲイフォード共著 東京書籍)は彫刻家と美術評論家の対話を通して、彫刻の歴史について語っている書籍です。全体で18の項目があり、今日は10番目の「建造物のなかの人体」について、留意した台詞を取り上げます。「私たちはもう、美術館で建築から切り離された彫刻を見るのに慣れっこになってしまっています。だから彫刻がもともと建物の一部だったということを、本当に忘れがちですね。大半の文化にとって、そして歴史上も相当な長期にわたって、巨大なスケールの彫刻が当然のように設置される環境と言えば建築でした。~略~古代ギリシャまでさかのぼるその伝統においてはとくにそうですが、支柱や主柱というのは、たびたび人間のかたちを持つものとして着想されてきました。ギリシャのアクロポリスにある、エレクテイオンの人像柱が示すとおりです。ところがこの像は、相当な重荷を支えているにもかかわらず満足そうですし、こうして役に立てることを誇りに思っているようです。」(M・ゲイフォード)「中世の建物の屋上に登ったり、聖歌隊の席の下に隠れたミゼリコード〔起立時の体重を支える小さな突き出し部分〕を見たりすると、頭が牛で体が蛇になった怪物などの自由な発想のかたちが見つけられると思う。ゴシック建築の周縁部を飾る彫刻、とりわけガーゴイル〔怪物などをかたどった彫刻〕のような装飾も、同じように破壊的だ。こういう彫刻は、神のものであれ世俗のものであれ、権力を表す役目をうまく逃れている。それが空想を生んで、人間が支配することのできない力としての動物の世界と僕らとの、恐れに満ちた関係を表している。」(A・ゴームリー)やがて建築から彫刻が独立したことを彫刻家はこのように言っています。「彫刻の歴史には言外に物語るものがある。それは彫刻が建築的な制約から解放され、僕らと共通の土台の上に存在するようになったということだ。つまり僕ら自身が自分たちについて表現したり、語ったりしたものが、本当の生身の人間と同じ空間に存在している。これによって彫刻は建築や社会と和解するのではなく、むしろそれと対峙するものになったんだ。いまや彫刻は自由に問いかけることができるー物質化された問いになったんだよ。」(A・ゴームリー)今回はここまでにします。