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「結婚、滞仏、そして低迷」について
「一期は夢よ 鴨居玲」(瀧悌三著 日動出版)の「結婚、滞仏、そして低迷」についてまとめます。この章では画家鴨居玲の性格を浮き彫りにしています。「結婚の相手は服飾デザイナーで、田中千代の芦屋学園職員である。玲より一歳年長、職業婦人として生活力がある。~略~絵画制作だけを重視し、それ以外では、破滅的で刹那的で、”あかんたれ”と言っていい甘ったれた未熟児的性格の玲とは、対極的にあった女性、それが彼女である。玲と彼女との双方を知る立場にある大人達ー彼らは玲たちより十歳前後上の社会人であったーは、二人の結婚に危ういものを感じて、賛成でなかったようである。~略~育ち方の過保護ぶり、母親及び姉への甘えぶり、友人知己への自己中心的な思い込み、そして一方制作第一主義から来る純粋はあるものの、特異な思い詰め方をし、不調に直面すると荒れ、親しい者に当たり、絶望の余り厭世観に陥り、死を思う。妻女から眺めると、それは予想の外の玲だったのである。」そのうちパリ滞在の機会が訪れます。「昭和34年、日本デザイナー協会主催のデザインコンテストで、玲の妻女のデザインが特賞を得、それで、玲たちの生活は一変する。その特賞には、パリへの往復旅費と三ヶ月ぐらいの滞在費が賞金として付いていた。そこで妻女は、実家から滞在費の追加援助を受け、二年間パリに滞在して、デザインを学ぶべく計画を立てた。妻が行くのだから、玲も行く気になる。~略~フランスへの旅立ちが、明後日という日、若林和男は、玲の妻女とひそかに会い、妻女が玲への別れ話を切り出すのを聞いた。」これには若林も愕然とし、妻女を説得したようです。「玲は、悲愴感という半ば感傷的で、半ば滑稽な心情を業として生きていたのだと思う。そして、業としての玲の悲愴感は、一枚皮を剥げば、玲の人間としての弱点が下にうようよとあり、その悲愴感は、それらをどうにか包み込んで形をつけている皮袋のようなものであったろうと思っている。」パリに滞在していた玲は事に臨んで弱点を晒し、パリで知り合った画家野見山暁治も、玲の気弱さ、意気地の無さに呆れるほどでした。そんな鴨居玲に魅力を感じたことを著者が述べていました。「玲が、最終的に成就した絵画性は、尋常に美しい綺麗事でなく、何やら尋常を超え、悲愴の気を底にはらむ何かで、したたかに迫る。そういう絵画性は、尋常の平凡な精神からは創出されない。尋常から遠く、尋常のものを失っていて、その代償として獲得されている。」鴨居玲が望む”ええ格好しい”のままでいたならば、壮絶とも取れる鴨居ワールドは創り出せなかったとも言え、バランスを崩したところにある芸術家の歪な精神性が、稀に見る秀作を生むという通説を、玲は身を持って体現したのだろうと思います。