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「スペイン時代」と「パリ時代」について
「一期は夢よ 鴨居玲」(瀧悌三著 日動出版)の「スペイン時代」と「パリ時代」についてまとめます。「パリで一緒になった富山栄美子を伴い、マドリに移り、市内グラン・ピアに面したホテルに投宿した。~略~当時の玲は、妻女との間が破綻していた。少なくとも破綻していたと他人に映る状態だった。そのため、栄美子は玲のプロポーズを受け入れたのである。しかし、妻女と正式に別れてはいず、別れるのは、ずっと後である。」玲が住んだスペインのバルデペーニャスの街の様子が描かれた箇所がありました。「中心を外れると至る処葡萄酒の倉庫があり、工場がある。街に入る幹線道路の両脇には、大きな縦長の酒の瓶が、列柱となって並び、葡萄酒の街であることを誇示している。その在りようは玲が『私の小さな村』と呼んだような村ではない。玲が村と称したのにはそうと見立てたい空想が入っており、創作があると解せられる。」玲の心情に触れた箇所もありました。「パリの個展も、出品作の題に『夢候よ』とか『踊り候え』とかつけたのがあり、それらは人生の夢と観じ、空しいが故に踊ればいいとする玲の人生観が込められている。また、この時分の廃兵や酔っぱらいを描いたのは、他人の姿を借りての自画像で、自嘲の気持ちも二重映しに入れてある。つまり、日頃から、人生の空しさを思い、自分を取るに足らない余計者とみている玲であり、カルメン・サンチェス・カラスコサに独りで居ると、その思いや考え方が膨れ上がり、孤独感と厭世観とで限りなく寂しくなり、滅入るのである。」玲はスペインからパリに移ることになりました。「スペイン時代の玲は、無茶なくらいに引っ越しを繰り返したが、ヴィクトル・ユーゴー大通りの家に入ってからは、パリを引き払うまで移転が無い。これは精神が安定軌道に乗っていたことを意味し、従ってその滞在二年五ヶ月間は自殺行動も起こらなかった。」ここで玲と同じ歳の美術評論家坂口乙郎についての記述がありました。「玲はバロック好きで暗い絵を描き、乙郎はドイツ表現派やウィーン幻想派の暗い情念の世界を留学後に紹介し、その方の評論に意を注いでいる。つまり、二人は、驚くほど酷似した面があり、それは乙郎の玲への共鳴となって、乙郎は、玲支持の評論を書き、次々と玲の個展図録に稿を寄せ、晩年の玲の画集には、長編の総集的な論攷が載っている。」ところが玲は乙郎ほどに惚れ込んではいず、乙郎の論攷に迷惑を蒙ったとさえ言い放っています。玲は人を正面から中傷することをしなかったはずですが、これはどうしたものでしょう。謎の多い部分があると私には思えます。