Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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人類に贈る「超人」への夢
表題は今日の朝日新聞に掲載されていた記事のタイトルです。ドイツの哲学者フリードリヒ・W・ニーチェの主著「ツァラトゥストラかく語りき」は嘗て私も読んだことのある書籍ですが、難し過ぎて途中で辟易してきたのを思い出しました。その中で「超人」と「永劫回帰」だけはどういうものか、何とか理解をしたつもりになっています。記事によると「難解極まるヘーゲルやカントの哲学書と異なり一般の読者でも十分読める。しかし、ニーチェ自身が非常に語りづらいことを語ろうとしており、その真意をつかむのは難しい。読む中で迷ったり頭を抱えたりする葛藤のプロセスを経験させることで、ニーチェは読者の凝り固まった思考そのものを変動させたかったのでは」(村井則夫さん談話)とありました。成程、それなら私も困惑して当たり前なんだと思いました。記事には本書の要約があったので引用いたします。「科学の発展や教会の権威失墜で、人々は神の存在を信じられなくなった(=神の死)。このままでは、不遇な者が成功者をねたみ引きずり落とす『ルサンチマン』や、逆に成功者が不遇な者を見下ろす『傲慢』という低級な快楽にふける『末人(最後の人間)』が世にあふれるだろう。彼らは生の核心にある創造への意欲や憧れ(=力への意志)を忘れ、他者との比較でしか自らの価値を実感できない。」これは虚無主義(ニヒリズム)と哲学では呼ばれているもので、そこから脱出するためにニーチェは「超人」やら「永劫回帰」という概念を持ち出したと私は理解しています。「だけど、忌まわしい過去から生まれた現在の私たちの営みが、まだ見ぬ未来に『超人』という、今の自分たちには想像もできないような美しく偉大な存在を生みだしたとすれば、それは私たち自身と忌まわしい過去を全肯定できることになる。」(佐々木中さん談話)ニーチェは私たち人類を肯定し、力強く励ましていると記事は結んでいました。私は「ツァラトゥストラかく語りき」を読んだ後の胸中の混乱を思い出しながら、それを分かり易くまとめてくれた新聞記事に感謝をしながら、ニーチェには論理の枝葉の部分にも心が捉えられた箇所があったことも思い出していました。