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「溶ける魚」21~25について
「シュルレアリスム宣言・溶ける魚」(アンドレ・ブルトン著 巖谷國士訳 岩波書店)の「溶ける魚」の21から25までの単元の中で、気に留めた詩文をピックアップいたします。まず単元21です。「花ざかりのすてきなスグリの木は徴税請負人の役で、自分の寝床の上にゆっくりと腕をのばしている。そばにある彼の剣は青いトンボだ。優美さのとりこになった彼が歩きだすとき、厩舎で地を蹴たてている翼のある馬たちは、すぐにも盲滅法の方向に突進しはじめそうに見える。」単元22に移ります。「ヴェールはかすかに動いており、いわば夜のなかの河の、だが目には見えなくてもおそろしく澄んでいるだろうと思える河の、ゆらめく波のうねりをともなっていた。ベッドのふちでそのヴェールのつくっている襞のひとつが、にわかに水門をひらいて、ミルクを、あるいは花々を押しながし、私は扇形にひろがる木の根のまえに、同時にまた、滝のまえにいるのだった。」単元23に移ります。「それは立派な船長だった。彼の太陽光線のなかには日蔭よりもたくさんの闇がふくまれていたが、彼はほんとうに真夜中の太陽でしか日焼けをしなかった。」単元24に移ります。「私の女ともだちは『あたしによく接吻をするひとほどわれを忘れるのがうまい』といった格言を用いて話していたのだが、これは一種の楽園のゲームの話題でしかなく、そして、私たちは、ふたりしてあたりに投げかえしていた旗が家々の窓にとどまっているあいだ、あらゆる無頓着さをすこしずつすてさってゆき、その結果、朝になって私たちにのこされたものといえば、広場の中央でわずかな夜露をぴちゃぴちゃすすっているあの歌だけだった、『接吻はいともすみやかに忘れられる』」。単元25に移ります。「けれども、もし私が嘘をついているのなら、どうか白栗鼠の血を一滴めぐんでほしい、そして雲たちよ、私が林檎の皮をむくときにどうか、私の手のなかにあつまってきてほしい。これらの布切れはひとつのランプになる、牧場のなかでひからびるこれらの言葉はひとつのランプになる、空にむけてさしあげた私の腕のグラスがないのだとすれば、私はそのランプを死んだままにすることはないだろう。」今回は以上です。