Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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ミロとクレーについて
「シュルレアリスムのために」(瀧口修造著 せりか書房)は、個々の芸術家に関しての文章が掲載されています。今回はホワン・ミロとパウル・クレーです。まずミロから。「彼(ミロ)はすでに、あらゆる事物は精神によってこそ、無から抽き出され、永遠にもたらされるものであることを考えはじめていた。これまでの彼の作品は、結局多少とも絵画のすでにつくられた型にしたがっていたのであるが、彼はしだいに、詩の直接な形成力に接触しはじめていた。~略~『農場』と題された絵は、ミロのこの一転機を示す美しい大作であった。彼にとっては最初の記念すべき綜合であり、これまでの造形的訓練が高潮に達していて、しかも詩的な感動を豊潤に湛えたものであった。~略~彼のオブジェやコラージュには、しばしば突飛な風に色彩的で、具体的な感じのものが要素になっている。剥製のオームとか、着色絵葉書の切抜きなどが、突拍子もなく現われる。この具体物への趣味は、たとえばダリなどの場合と非常にちがっているであろう。ダリはそれらのものを、自分の手で着色したように見えるが、ミロの場合は、明快な効果として空間のうちで衝撃を起こし、第二の空間をつくり出すように感じられる。~略~ミロとクレーは、ともに〈詩人画家〉であること、ともに機智と非合理的連想に富んでいること、原始人や子供の絵画に比較されることなどにおいて似ている。またそれ以上に、この二人の寡黙で内省的な性格には一味相通じるものがある。しかしミロはクレーよりもいっそう単純な方法を愛する。彼にはクレーのような心理的知性からの暗鬱なニュアンスがない。」そこで次にクレーです。「シュルレアリストが〈神秘〉対して、いつも注意深い口実を見出してきたのに較べて、しかもしばしばシュルレアリストの隣りに位置せしめられてきたクレーが、神秘に対してなんの防禦もしていないところに、たしかにこの画家の性格のありかがあるのであろう。~略~彼は版画によってえた線的傾向から色彩的な領域に転換するために、ガラス絵を描いたといわれるが、彼に色彩的な素質が欠如していたわけではない。色彩もまた彼の特異な達成の領域であり、心理的楽譜のもっとも重要な要素となっている。」今回はここまでにします。