Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「プロローグ」について
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)はブルトンの生涯を綴った伝記ですが、そこに入る前に「プロローグ」と称した前置きの文章がありました。ブルトンの概観を辿った文章はこんなふうに書かれています。「ブルトンのいくつかの公式的な言葉はすでに大理石に刻まれ、人びとは、痙攣的な美や黒いユーモアや絶対的な自由についてのそれらの言葉を繰り返すだけで、立ち去ってしまう。シュルレアリスムについてのブルトンによる壮大な規定も、何かの教義のように扱われるだけだ。不当な言葉ではあるが、ブルトンには、シュルレアリスムの法皇という称号が必ずつきまとってしまう!」どうもブルトンは近づき難い存在になっていたようです。ただ生来のブルトンは生真面目なところもあり、こんな一面が書かれていました。「この夢の解釈家は、夢の中や半覚醒時の言葉に注意を払うと同時に、いつも集団的な行動をめざしている。雑誌の編集作業、つまり記事を選んだり、図版の割り付けやページ割りを準備したりする作業は面倒なものだし、こうして集まったテクストのうちには、彼から見れば凡庸なものもあったとはいえ、ブルトンはこの仕事を最後までやり遂げることを、みずからの義務と感じていた。」さらに運動を組織する一面もありました。「あらかじめ設定された教義をもち、その正統性を監視する指導者を戴く一枚岩の運動として、シュルレアリスムを表現したら、それは誤りというものだ。それどころか、シュルレアリスム運動は内部の論争と構成メンバーの多様性に依拠することなしには、発展も前進もできなかった。ブルトンは他の誰よりもたくみに、これら多様性から積極的な要素を引き出したのだった。彼が生きた人間的・知的状況からブルトンを引き離して、彼ひとりだけを賞賛する態度ほど、ブルトンの真の生き方とみずからが活気づけた運動への彼の野心に反することはない。」シュルレアリストたちは個性的な考えを持つ人種の坩堝だったことは容易に想像でき、それらの人々と運動を展開していくことの難しさと素晴らしさを、ブルトンが一番知っていたのだろうと思っています。そうしたブルトンという魅力的な人物がどのように誕生したのか、本書を読み進める楽しさが俄かに出てきました。