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「めまいの時」について
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅰ部 現代の美への目覚め」の「第二章 めまいの時」についてまとめます。「兵士アンドレ・ブルトンの登録証は、彼が兵役に就いたときの状態の詳細を伝えている。金髪で面長、父親譲りの灰色の目、鷲鼻、身長1.74メートルのこの美青年はポンティヴィの第17砲兵連隊に配属され、1915年4月12日から6月29日まで二等砲兵として軍事訓練を受けるのである。」次にブルトンの恋愛について書かれていました。「〔1915年〕夏の終わりには、ブルトンの従妹でマノンと呼ばれた、あのマドレーヌ・ルグーゲスがこの街にやってくる。~略~彼は彼女の魅力にまいっていることを否定するふりをし、彼女の弱みをきわだたせた。つぎの日曜日、彼は彼女とベッドをともにする。それは愛が失望に変わる夜だった。」詩作への熱情もありました。「ブルトンは年長者たちにたえず問いつづけた。マラルメ的な洗練とランボーが勧める日常性のどちらかを選ぶべきかと。ヴァレリーはそのような言い方自体を捨て去るよう命じ、アポリネールはこう断言した。『もっと自然にふるまうべきです。幻影、あるいは単純なことがらを恐れてはなりません。』~略~ヴァレリーのやや刺のある懐疑主義とアポリネールの詩的熱情との間で、ブルトンはみずからの道を自力で見出さねばならなかった。」また、こんな文章もありました。「自分ではもはや制御できないような情熱の淵深く沈むことの願望と不安、新しい経験をしたいという欲求、ランボーの執拗な支配から逃れようという野心といった、以後彼の習慣となる多義的な心の動きによって、ブルトンは生活の場面を変えることを求めるが、そのさい人生の方向を決定する気づかいを他者にゆだねようとする。」同時にブルトンは精神医学に携わっていたために、自己分析もやっています。「自分自身の人格の解明を試みて、ブルトンは精神医学の古典的教科書にしたがって『調和を欠いた気質』つまり循環気質〔躁と鬱が交互に現れる性格〕の臨床的描写を彼自身に適用している。これらの性格描写は、熱狂と絶望が交互に現れるブルトンの自己矛盾的傾向をかなりよく説明している。」また戦場体験についてブルトンはヴァレリー宛に次のように書き送っています。「戦場で感じた印象がどれほど評価されるべきものなのか、私にはわかりません。いま、私はかなり心地よいめまいを数時間体験したような気がします。たとえば、砲撃の中で数時間もかけて、担架を運ぶ《シニョル(ボロ車)》(私の仲間たちの隠語です)を撤退用舟艇までひきずっていった、あの美しい真夜中の場合がそうです。あの体験は、泳いだり、馬を疾走させたりする快楽に似ています。しばらくの間、アポリネールの美神が私をささえてくれるのです。」今回はここまでにします。