Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「旧式の芸術への告発」について
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅰ部 現代の美への目覚め」の「第四章 旧式の芸術への告発」についてまとめます。本書では大戦後のブルトンと詩人たちとの交流を描いていましたが、雑誌「リテラチュール」発刊が重要な出来事だったように思います。「雑誌を読む前から、ツァラは『リテラチュール』の寄稿者たちの傾向を見抜いて、ブルトンにこう書いている。『あなたの雑誌は旧い文学から新しい文学への移行を強調しているように、私には思われます。それは(とても)必要なことですが、むしろ批評家や歴史家の仕事なのではないでしょうか。』それはともかく、創刊号の発行部数は五千部に達した。旧世代の支持を受けて、雑誌の予約が殺到した。そのことには敬意を表しておかなくてはなるまい。ブルトンは今後数号分の原稿をあらかじめ集めておく努力を怠らなかった。」また当雑誌は「なにしろ、ヴァレリー、ジッド、アポリネールらの錚々たる名前を表紙につらね、新しい才能を呼び出し、忘れられた作家を再発見し、エスプリ・ヌーヴォーの端緒となったのだから。」とありました。この頃のブルトンは「アラゴン、スーポーとともに、ダダの手法をもちいて、彼は一大クーデタを敢行する期が熟すのをじっと待つことにした。」とありました。「ブルトンはツァラへの手紙で、こんな警告を発している。『われわれはつねに詩人だと思われている必要があります。近代主義があらゆるものに到達し、あらゆるものを明るみに出すことがわかるでしょう。これほど深刻なことをけっして書いたことがないと、つけ加えるまでもありません。私は事態を悲劇的に受けとめています。背徳行為を、流産した企て同様、私はきびしく罰するでしょう。そして、私は何も恐れてはいません。…追信ーさしあたり、私が何も望んでいないことに気づいてください。金持ちや偉人になったりする野心さえもありません。そのことが私を危険な存在にしているのです。』」そして自動記述に繋がっていくのですが、「その後の広まった見方とは逆に、当時自動記述は誇らしい勝利でも、無意識の啓示者でもなかった。せいぜい、二人の記述者(ブルトンとスーポー)によって必然的に競りあげられる加速された速度によって、当人たちにもその論理を知覚しえないようなひどく濃密なイメージをもたらす、新しい詩的方法といったところだった。」というのが当時の状況だったようです。今回はここまでにします。