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「ダダ」について
「アンドレ・ブルトン伝」(アンリ・べアール著 塚原史・谷正親訳 思潮社)の「第Ⅱ部 ダダからシュルレアリスムまで」の「第一章 ダダ」についてまとめます。「ダダイズムの概念は、ダダを自称するひとの数だけ存在している。この組織の力は、中央集権化されない、軽やかな構造から生じた。ダダのひとりひとりが〔ダダの〕大統領だ、とツァラ(トリスタン・ツァラ)はいうだろう。運動のこの柔軟性と可変性は意図的なもので、ダダの体質に不可欠な部分となっていた。~略~迷いの果てに、ブルトンは自分がダダであることを認める。といっても、それ以前に書いたものを否定したわけではない。ツァラが望んだように浄化された人類が手綱を取るようになるまで、しばらくの間、それらのテクストは後方にしりぞくことになる。そのときになってようやく、『真の現代の神話』が理論的構築の対象となるだろう。この神話は、ツァラが彼の雑誌のおなじ号でとりあげたキリコの絵画において、マネキン人形や幽霊たちの新しい次元の時空を紋章として形成されつつあったのである。」そんな時流をブルトンの両親が心配していました。「パリでのダダの大騒ぎは、マスコミによって地方にまで伝えられたので、3月21日、ブルトンの両親は息子の将来に不安を抱き、突然思い立ってホテル・グラン・ゾムに駆けつけた。両親はアンドレに、医学部に復学して学業を真面目に続け、ダダのような破廉恥な活動はやめること、さもなければロリアン〔ブルターニュの実家〕に帰って働くことを要求した。したがわなければ、仕送りを止めるというのだ。母親は、息子の名前が大文字で載っている新聞を手にして激怒し、新聞で名誉を汚されるくらいなら戦死してくれたほうがよかったとさえいい切った。だが、若者は抵抗した。彼は自分の適性からも、性格的にも、医学の勉強は続けられないことを知っていたので、将来の選択としては詩を書くことしかないと心に決めていた。」やがてブルトンは結婚相手に出会います。「シモーヌが彼と一緒に暮らすことを受け入れるようになると、新しい力がブルトンをとらえる。世界が、これまでとはちがって見えてきたのだ。破壊への意思、ダダの現状一掃は過去の位相となった。」ダダとの訣別がついにやってきます。「ピカビア経由の間接的な情報を信用して、ブルトンはダダの創設にかかわるツァラの父権を全面的に否認し、ダダは前の年の5月〔1921年5月13日のバレス裁判のこと〕に美術学校の学生たちのファンファーレに送られてセーヌ河で溺死したと断言した。」今回はここまでにします。