Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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勤務校統合による閉校式
私が嘗て5年間校長として勤務した横浜市立の中学校が、ついに閉校を迎えることになりました。大きな団地の中にある中学校は、少子高齢化によって生徒が減少し、学校が存続できるか否かの問題を、私が着任する前から抱えていました。それでも私が着任した頃は、各学年2学級を有していて、学年行事も辛うじて組むことが出来ました。52年前の創立当時は1000人規模の学校だったため、収容人数が限界を超え、近くに新しい学校を建てたのでした。その後、生徒が減少しはじめて、いつの間にか新校の方が規模が大きくなってしまいました。統合は私が勤めていた頃から囁かれていたことでしたが、その頃の私は勤務校が無くならないように地域と一緒になって思案をしていました。学校を少しでも魅力的にしながら、学区に調整地区を設定できるように市教育委員会に学校運営協議会を通じて申請をしていました。魅力的な学校は眼に見えるものでなければならず、私が美術科であることを武器にして、生徒たちとプロジェクションマッピングを作り上げて、全市に教育委員会の広報を使って知らせました。その頃、プロジェクションマッピングの制作に関わった生徒たちが美術方面に進路を考えはじめ、その子たちが現在私の工房に通ってきている美大生たちなのです。私も生徒を増やす目的で始めたプロジェクションマッピングが、実は大変面白い視覚表現であることに気づかされ、生徒たちと珠玉の時間を過ごせたと思っています。そんな思い出が残る学校も今日で統合されることになりました。嘗て分かれた学校が統合するにあたって、学校名が新しくなり、学校教育目標も新しくなります。現在の1・2年生はストレスを抱えることになりますが、ここは心機一転して、自分のやるべきことを全うして欲しいと願っています。私も式典中は走馬灯のように5年間の月日が巡ってきて、些か疲れました。生徒たちが新しい環境に一刻も早く馴染むように願っています。