Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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芸術の役割について
今朝の朝日新聞「折々のことば」に掲載された記事で、今は亡き現代音楽家武満徹の一文が紹介されていました。「私たちはゆっくりとした歩調を保つしかない。」これに鷲田精一氏がコメントを寄せています。「文化は、時間の淀みに沈み込むばかりだと頽廃に陥るが、そこに孕まれた『夢の胚子』を性急に孵化させようとすると、畸形のものばかりが現れてはすぐに漂白される。そんな逆向きの頽廃にはまると、作曲家は文明の今を憂う。歩みは未来に向けながらも『現在』に深く脚を降ろしてゆくのが芸術の役割だと。文化人類学者・川田順造との往復書簡『音・ことば・人間』から。」文化が醸成していく過程には、芸術が重要な役割を担っていると文章が語っていますが、畸形なものを見分ける力も必要なのでしょう。最近これは何がしたいんだろうと思うような現代アートの氾濫を見ていて、自分が時流に乗り遅れているような錯覚を持つことが、私にはあります。現在の立ち位置にあらゆる解釈を施すアートの多様性に、些か消化不良気味な自分がいて、自分のリズムを乱されないように、耳を塞ぎ目を瞑ることも暫しあるのです。しかし、自分がやっている創作活動も畸形の一種かもしれず、何が文化として残っていくのか分からないと自己懐疑に陥る自分もいます。「ゆっくりとした歩調」とは歴史の取捨選択に創作の一端を任せることを意味しているのでしょうか。それでも今日の「折々のことば」は私にとって一種の清涼飲料のような感覚を与えてくれました。「夢の胚子」とは何と響きの良い言葉でしょうか。そんな言葉の投げかけで、私は何度も新鮮な気持ちを取り戻し、大袈裟に言えば命の蘇生が出来るのだと思っています。