Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「黄金の女たちの陰に」について
「グスタフ・クリムトの世界」(海野弘 解説・監修 パイインターナショナル)のほとんどの内容がクリムトの描く女性で占められています。私にとって苦手な女性表現をクリムトは得意としていて羨ましい限りですが、彼が表現した女性像は一筋縄ではいかない重層な意味合いを持っています。「クリムトの作品の大部分は女性を描いている。彼は〈女性〉に魅せられた。それはどのような〈女性〉であったろうか。それはきわめて官能性の強い女性像であった。そしてクリムトは、20世紀の初期、1908、9年くらいまでの時期に、女性像を黄金の光で包んだ。この黄金の女たちは、クリムトの女性像のピークといえるだろう。しかし、そのまばゆい黄金の光は私たちの目を一瞬くらまし、眼裏に暗い闇をもたらすのだ。クリムトの〈黄金の女〉は二重映像としての〈闇〉をはらんでいる。クリムトの女性像は、黄金と闇の両極の間を揺れ動いているのだ。~略~19世紀末のアール・ヌーヴォー・スタイルは、光と闇の狭間にゆらめいた。光を散乱させる表面性、平面性にこだわりながら、その彼方に象徴の幻影を映していた。平面と象徴をつなぐのは〈装飾〉である。視覚的な形であるとともに、記号としてその意味を暗示する。クリムトにおいても〈装飾〉は大きな意味を持っている。リアルな、エロティックな女たちは黄金の装飾に包まれて、謎めいた神話的世界へと変身してゆくのだ。エロスと死、娼婦と女神、黄金と闇という女性の二重性にクリムトはとり憑かれた。彼はひたすら〈女性〉という謎を追い求めた。」この時代のウィーンには頽廃的ともとれる雰囲気が漂っていたのかもしれず、私が住んでいた40年前のウィーンにもクリムトの申し子と呼ぶべきウィーン幻想派の人たちが大きな影響力を持っていました。私は自分が専攻する彫塑でも色香が匂う女性像が作れずに、自分の資質にない世界があまりに遠くて、私自身はそれに憧れることはありませんでした。ただし、クリムトやシーレが纏っていたエロスと死を理解はしていました。自らの死生観を培うことは、限りある命を謳歌することであり、それがエロス、言い換えれば人間の根源にも通じるのだろうと感じていました。