Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

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「写真家ブランクーシ」について
「像をうつす」(金井直著 赤々舎)の「3 ブランクーシ 彫刻を拡張する写真」について、その後半部分の「写真家ブランクーシ」を取り上げます。「アマチュア風と評されるも、ブランクーシは生涯、自作の撮影を止めなかった。結果、ブランクーシの遺品を受贈したパリの国立近代美術館には、彫刻家による560点近いオリジナルネガと本人が焼いた1250枚ほどのプリントが遺されている。」これは単なる彫刻作品の記録ではないと考えた方がよさそうです。「ブランクーシは何を写そうとしたのだろうか。個々の彫刻ではあるだろう。しかし、それと同時に、像表面をかすめる微候や、スタジオ全体の雰囲気、そこに現れる対比や変化のしるしではなかっただろうか。~略~ブランクーシはそれなりに手間のかかる置き換えを、スタジオ風景の撮影のためだけにおこなっているのだ。つまり、ここでは明らかに、個別の作品よりも空間(の写真)の構成、言わば画作りに意が払われているのである。ブランクーシは、スタジオ内の作品というよりも作品のあるスタジオを写し続けていたのだろう。~略~さらにはスタジオ内で一人鋸を挽き、ハンマーを振る姿を自撮りすることで、あるいはスタジオ内で自作に囲まれてたたずむ、打ち解けた雰囲気のセルフポートレイトを仕立てることで、スタジオこそがひとをアーティストにし、石や木を彫刻に変える創造の坩堝なのだ。そのことを彫刻家の数多の写真が教えてくれる。」ブランクーシにとっては写真は彫刻と同じ表現媒体であったのは確かなようです。「いずれにせよ、写真をもってブランクーシが自身の多様な造形世界を支え、さらに拡張し、また、自らの創造者イメージを強化していたことは間違いあるまい。近代彫刻史上、傑出した役割を果たしたブランクーシこそが、じつは彫刻と写真の接続を、もっとも確かなかたちで実現した人物であったことは、あらためて強調しておきたい事実である。」今回はここまでにします。