Yutaka Aihara.com相原裕ウェブギャラリー

note

「夢の通い路」について
「仮面の解釈学」(坂部恵著 東京大学出版会)の本論に入る前に、著者と同じ東大の教壇に立つ熊野純彦氏によるまえがき「夢の通い路」がありました。副題に「本書を手にする読者のために」とあって、本論の手引きのような役割があります。著者が専門にしたカント哲学の中で、カントが晩年に思考した催眠と覚醒、夢とうつつ、死と生といった二極が入り混じる境界を踏まえ、著者も同じ視点によって本書を著したようです。「本書『仮面の解釈学』もまた、生と死、覚醒とまどろみ、現実と夢のあわいを問うている。坂部はここでも、『おもて』と『うら』(あるいは『仮面』と『素顔』)、『もの』とその『かげ』(あるいは『しるし』)、といった、さまざまな極が交じりあう領域に、思考がそこで紡ぎだされるべきありかを見さだめているのである。坂部の思考の特質は、たとえばつぎのような一節によくあらわれている。『おもて』を問題とし、『うつし』を論じて、やがて『うつつ』を問う一節である。『〈うつつ〉は、たんなる〈現前〉ではなく、そのうちすでに、死と生、不在と存在の〈移り〉行きをはらんでおり、目に見えぬもの、かたちなきものが、目に見え、かたちあるものに〈映る〉という幽明あいわたる境をその成立の場としている。そこに、〈移る〉という契機がはらまれている以上、〈うつつ〉は、また、時間的にみれば、単なる〈現在〉ではなく、すでにないものたちと、いまだないものたち、来し方と行く末との関係の設定と、時間の諸構成契機の分割・文節をそのうちに含むものでもある』(『うつし身2』)~略~理性から非理性を、現実から非現実を、現実から夢を、一方的に排除し、そこに、現実と現実ならざるものについて、真実と虚偽について、あるいはまた主観と客観について、一つのものの見方を組み立てる近世的合理主義の理性にかわるべきものとして、そこで排除されたものにも目を配り、それをも全体の欠くべからざる構成部分として含みこんで考えることができるような、あらたな思考のシステムが求められなければならない。それは、一つのあらたな根底的な理性批判とでもいうべき課題となるはずである。」(熊野純彦著)今回はここまでにします。